堀文子の言葉から②

描くものに対しては、感動とか興奮といった生易しいものではなく、逆上に近いような感情を持っていないと、人の魂など打たないのです。ただ、いいですね、とか、きれいですね、と言っているくらいでは絵は描けません。
今の人たちは、逆上することが恥ずかしいのではないでしょうか。文明というものは、物を知っていることだと思うから、
「そんなこと知っていますよ」
という顔をして、知識だけで物を見ている。だから、何かに逆上するということがないのかもしれません。
人間がマンモスと闘いながら洞窟で生きていた時は、毎日が命がけで、人生はもっと鮮烈な輝きを放っていたのではないでしょうか。
自然界の生き物は、いまだにそうだと思います。例えばあんな小さな蚊でも、こちらが殺してやろうと思った時には、身を隠してしまって、簡単にはつかまりません。あれは命がけで生きているからでしょう。
「こいつはそろそろ殺虫剤を持ってくるぞ」
などと、頭で考えているわけではないのでしょうけれども、こちらの殺気というのを感じとるのだと思います。いったいそれをどこで察知するのかはわかりません。けれども、大雪が降っても、ちゃんと時期が来れば牡丹の花が咲くように、自然界のものたちは生きるということにもっと懸命で真摯であるような気がします。人間だけが知識を得て、便利さを求めて、本来の生物としての能力をどんどんそがれているように思えます。
わたくしは山の獣、草木、花々が、日々生と死を分けながら生きているさまを観察してきて、その原始の感性とでもいうものに少しでも近づきたいと思っています。そうした本来の生物としての能力を発揮しているときこそ、命は輝くのではないかと考えております。
物を知らないときがいいのです。物知りになるということは、ろくなものではないと思います。


  (堀文子 『私流に現在を生きる』から 中央公論新社 )
by mint-de | 2016-01-22 14:39 | 詩と言葉から

見たり聞いたり、日々思うことをあれこれと…


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