ハリー・ボッシュ

ハリー・ボッシュはアメリカのミステリー作家マイクル・コナリー(1959年生まれ、ロサンゼルス・タイムズの記者だった)が描くハードボイルド・シリーズの主人公の名前である。

本名をヒエロニムス・ボッシュ(1950年生まれ)といい、15世紀に活躍した画家と同じ名である。娼婦だった母は、ボッシュが子どものときに殺され(第4作目の「ラスト・コヨーテ」でボッシュは犯人を突き止めるけれど、真実はとても悲しい結果に終わる)、以後、孤児院、里親、ヴェトナム戦争を経験し、ロス市警に入る。

8年でパトロール警官から刑事になりエリートの強盗殺人課に配属。ボッシュをモデルにしたテレビドラマも作られるほどの活躍ぶりだったが(そのときにもらったお金で家を買った)、あるとき丸腰の男を撃ってしまったミスで、「ロス市警の下水」と呼ばれているハリウッド署に左遷される。第1作目は、そのハリウッド署にきた翌年からの話になる。

二転三転するストーリー、著者のジャーナリストとしての経験が生きているリアルな描写、それに加えてボッシュその人の魅力が、このシリーズの特徴である。
組織となじまない一匹狼、上層部の意向より自分の信念を優先させる精神力、あくまでも被害者の側に立つ「死者の代弁者」としての使命感、そして、自分の仕事が、「たとえ悪の海に入り穴の開いたバケツで悪を取り除くような行為」であったとしても、一つひとつ「悪」を取り除くことが、善へと向かう道だと信じていること。ボッシュはそういう刑事だ。読んだあとに残る寂寥感や孤独感もこのシリーズの魅力である。

2003年2月号の『ミステリ・マガジン』(早川書房)に、著者のマイクル・コナリーがボッシュに聞く形式の「犬の捕獲人としての存在」(古沢嘉通訳)という記事がある。『シティ・オブ・ボーンズ』の刊行を記念したものだが、作者が自分が作り出したキャラにインタビューするなんて、とってもおかしい。コナリーさんは、かなりユーモアのある方らしい。『シティ・オブ・ボーンズ』で、ある重大な決断をしたのでその補足という意味があるようだ。

以下は、「犬の捕獲人としての存在」の中で、私が気になった文章の引用である。

「だれもが重要であり、さもなければだれも重要でないんだ。おれは後者よりも前者を選択する。だれもが重要なんだ」

「この土地(ロスのこと)について重要なのは、あと一歩でとても良い場所になりそうな状態につねにあるということだ。だから、おれが感じている大本にあるのは、希望だろう。いつかより良い日が訪れることをおれは願っている。いや、おれたちだれもが願っているし、それが可能だとわかっている」

「それに、だれかを知ることなどだれにもできないのだ、ということを。どんな人間にも、本人だけが出入りしている秘密の部屋がある。ほかのだれも行けない場所だ。壁には絵がかかっているが、外部のものにはけっして見えない。部屋の持ち主である人間にしか見えないんだ」

「最終的には、その理由
(悪の源を知るということ)は大切なものじゃない。大切なのは、現場に出て、この世からその悪を取り除くことだ」
  *( )内は私の補足。

私は、シリーズの2作目『ブラックアイス』を読んでから(1994年)、このシリーズのファンになった。新しい作品が出るとまず2回読み、またシリーズの始めから読み返すというはまりようだった。
ただ残念なのは、アメリカでは順調に出版されているのに、ここのところ日本ではかなり遅れて出されているので、早く次作の『Lost Light』(2003年)が読みたいと、私は待ち焦がれている。

読んだことのないアナタ、今すぐ本屋さんに走りましょう!(2004年10月記)
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by mint-de | 2007-09-25 13:37 | 私の本棚 | Trackback

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