碧草の風

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オードリー・ヘプバーン

「尼僧物語」   (1959年 アメリカ映画)

かなり古い映画だが、好きな映画の一つ。先日BS2で放送があったので、久し振りに見たのだが、普遍的なテーマを取り上げているので、古い映画でも古さを感じさせない、すばらしい映画だと思った。

尼僧を目指した女性が、最後は、普通の人間に戻るということで、キリスト教には批判的な映画ととられるかもしれないが、私はそういう風には見ていない。キリスト教のことがわからなくとも、彼女の苦悩は理解できるし、オードリー・ヘプバーン演じる尼僧が、自分の本当の生き方を探す、その自分自身と向き合う真摯な姿勢が、感動的なのだ。
最初のシーンで、尼僧になる決意をした娘に、父は、間違っていると思ったら、恥ずかしがらずに戻るようにという。結果は、父のいう通りになるのだが、このシーンはラストを暗示していたということと、人生は選択の連続であって、違うと思ったら、立ち止まって戻ることも必要なのだというメッセージだとも思う。

修道院に入るシーンから始まるので、彼女が何故尼僧になろうとしたのかはわからない。ただ、外科医の父の手伝いをしていたことから、アフリカのコンゴの病院で働きたいという希望を持っていたことがわかる。看護師の資格を持っていても、外国の病院で働くには、修道院に入ったほうが近道だったのかもしれないと、余計なことを考えてしまうくらい、彼女はコンゴ行きを切望している。

第2次世界大戦前のベルギー、外科医の娘ガブリエルは尼僧になるために、修道院に入る。厳しい戒律を守りながら、修練生から尼僧を目指すのだが、戒律より人間的な行いを優先してしまうので、次第に彼女は、神の教えと自己の良心の狭間で苦悩するようになる。

念願がかなって、シスター・ルークとなり、コンゴの病院で働けるようになる。彼女は懸命に働く。しかし、無神論者の医者に、優秀な看護師だとほめられるが、自分の考えにこだわる人間は、神に仕えるのは無理だと、尼僧には向いていないことを指摘される。
そして、コンゴの病院から修道院に戻った彼女は、もう神への愛だけでは生きていけないことを悟るのだ。

神の教えを信じて生きられる人間と、生身の人間として感情をさらけだして生きる人間、どちらの世界に身をおくかは、人それぞれだ。
オードリーの凛とした美しさと、心の迷いを見事に表現する、その演技力が光る映画である。(2005年8月記)
by mint-de | 2007-09-25 15:22 | シネマ(た~ほ) | Trackback
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