自分の命

「自分の命生かす共生を」

(略)その上で、『あらしのよるに』のしめくくりが、友達のために生命を投げ出すというシーンであることに、ほかの書き方はないのだろうか、と思いました。そこを踏みとどまって、苦しい旅をするヤギとオオカミとともに、ふたり生きての行く末を考えてもらいたい。その方法をどうしても考えつかないなら、子供の(大人になっても読みなおし続ける)読み手に、考えてゆくバトンを渡す。そんな書き方もあるのじゃないでしょうか?
それというのも、「いのちを かけても いいと おもえる ともだち」という美しい言葉は、使われ方でむごい強制をもたらすからです。「ともだち」を「家族」「国」「世界」と置きかえてみてください。
この2月、自民党と民主党の議員連盟「教育基本法改正促進委員会」の設立にあたって、西村慎悟衆院議員が、「国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」と挨拶しました。
自分の命を差し出す覚悟の発言、というのじゃない。ひとに命を投げ出せ・ささげろという、それも子供にいう。子供たちにいえ、と教師に強いる法律を作ろうとする。この議員の倫理感覚の鈍さにあらためてウンザリしますが、私は自分の命についても、それを生かす道から、一緒に生きることを考え始めたいと思います。
自分が生きることを考えない共生は、それこそ矛盾です。


  (大江健三郎 「自分の命生かす共生を」 2004年11月16日付朝日新聞朝刊から)
by mint-de | 2007-09-27 11:38 | 詩と言葉から

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