碧草の風

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カテゴリ:記憶の鞄( 17 )

14歳

我が家のワンコは、ついに14歳になった。
見た目は元気だが、体はかなり衰えてきた。
14年というのは、結構長い年月だ。
食べて、散歩して、寝る。
それが彼の一日。ずっとそれだけの日々。
周囲の音や匂いに反応しているときもあるが、時々、哲学者が思索しているかのように、庭を見つめていたりする。一体、何を思っているのだろう?
顔をなでてやると、もっとなでろと顔を寄せてくる。
私は、ただなでてやる。

人間と犬。言葉が通じなくとも一緒に暮らせる不思議な関係…
公園を一緒に散歩する私も、彼と同じように年をとっていく。
14年前の自分と今の私。家族を何人か失い、いろんなことがあった。
忙しくとも、天気が悪くとも、犬と一緒に歩いた日々。
何年もたって、犬を飼わなくなったら、きっと犬との日々を懐かしく思い出すのだろう。
公園の木々の葉や花の色、季節を告げる風の音。四季それぞれの日々。
これからも犬の幸せを願いながら、見守っていきたいな。
by mint-de | 2017-03-26 14:18 | 記憶の鞄

懐かしい町

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今年も法事で北海道へ。
今回は、久しぶりに洞爺湖に泊まった。
昔と比べると観光客が減り、町全体の静かさに淋しい思いがした。
歩いていても、通り過ぎる人もまばら。
一番驚いたのは、バスターミナルに客が二人しかいなかったこと。
窓口は閉められ、案内の人はいない。
名の知れた観光地の土曜日のバスターミナルなのに…
道東や富良野方面の方が、観光客には人気があるのだろうね。
それと、団体のバスやレンタカーを利用する人の方が多いから、普通のバスはどんどん利用客が減っているのだろう。
でも、私のように運転もせずツアー旅行でもない者にとっては、バスは貴重な移動手段。
今後、バス路線は廃止なんてことがないように願いたいもの。

時間があったので、私が生まれ育った町にもいってみた。
不況で、私がいたころの半分近くまで人口が減った町。
訪れるたびに、どんどん寂れていく感じがする。
私が育ったのは、工場と港を見下ろす高台の社宅だった。
今は、建物がこわされずっと空地のまま。
何もない、一緒に暮らした家族もみんなあちら側などと、感傷的になる私。
でも、よく遊んだ神社は、昔のまま。
あまりにもそのままだったので、なんだかおかしくなった。
神社の横の急な坂道を上ると小学校がある。
いま見て結構急な坂だ。
毎日、よく通ったものだと、昔の私に感心する。
その坂道を見ていたら、冬の日に、兄と姉と三人でソリ滑りをしたことを思い出した。
その坂で滑るのは危険だったので、本当は禁止されていたから、余計スリル満点だった(^^)
実際は、兄と姉にはさまれていたので、私自身はそれほど怖くはなかったのだ。
その姉の13回忌。
夏は兄の7回忌。夏も行けるかな?

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by mint-de | 2013-06-04 15:33 | 記憶の鞄

幸せな湯

このところ寒くて、最低気温が氷点下の日が続いている。そんな寒い日の夜は、お風呂の熱い湯に浸かっているときが最高に幸せな気分だ。
幸福ってこういうことをいうのだなあと、しみじみ思う自分がいる。人生のささやかな喜びというものは、案外、日向ぼっこする猫みたいに、日常のあちこちにあるものなのだ。
入浴剤で色づいた湯は、なお一層温かな気分にさせてくれる。お湯の温度が下がったら、追い出きボタンを押せぱいい。なんて便利なんだろうと思う。そして、決して便利とはいえなかった実家のお風呂を思い出す。
実家のお風呂は、ガスになる前はコークスやまきを使ったストーブで沸かしていた。お風呂を沸かすのは父の役目だった。父はお風呂が沸くまではどんどん燃やすので、ボコボコと沸騰しているときもあった。沸いてしまったら火が消えないように、かつ燃えすぎないように注意しないといけない。父はお風呂が沸くと浴槽に水を足し、ぐるぐるかき回して適温にする。そして、「沸いたぞ」とまるで仕事の出来映えに満足する職人のように宣言したものだ。私たちは、燃料を無駄にしないように、続けざまにお風呂に入らなければならなかった。最初は適温でも、何番目かに入ると火の加減で湯は結構熱く、かといって次の人のためにあまり水を足すこともできないので、私は我慢して熱い湯に入っていた記憶がある。
機械で適温に設定された今のお風呂は熱過ぎずぬる過ぎず、快適な湯だ。でも、あのストーブでボコボコと沸かされたお風呂と、熱い湯で指先がカッカと熱くなる感覚も懐かしい思い出だ。私は長くお風呂に入っていられなかったが、父はずいぶん長湯だった。父も、今の私のように、しみじみとした幸福感に浸っていたのかもしれない。
by mint-de | 2011-01-31 14:56 | 記憶の鞄

老いと居場所

ずっと北海道に住んでいた89歳になる叔母が、東京近郊で暮らしている娘家族と同居することになったので、会いにいった。
日中は一人でいるという叔母。家の中はこっちの方が寒いといって、重ね着をしている姿を見ていると何だか気の毒になる。事情があって、こちらにやってきたのだ。私の父も、最後は北海道から離れて見知らぬ土地で暮らすことになった。いろいろ考えて、それが最善の方法だったとしても、老いた身の居場所とは、自分がいたいと思う場所とは違う所になってしまうことに、やりきれない思いがする。
叔母は、もう一人では長い距離を歩くことが難しい。そして、物忘れがひどくて、このままぼけてしまいそうだとしきりに不安を口にする。私は、施設のお世話になっている老人がいっぱいいるのに、叔母さんはちゃんと自分のことができるのだから大丈夫と励ましてきたけれど、叔母の不安な気持ちは理解できる。私にとって、老いは未知の領域だ。私が長生きして叔母くらいの年になったとき、はたしてどんな境遇でどんなおばあさんになっていることか。でも、なんとなくわかっていることはある。それは身体の衰えに絶望的になるのではなく、自分の身体と気持ちに折り合いをつけて生きていくことではないのかと…
ほんの数時間の訪問ではあったけれど、束の間、故郷にいるような懐かしい思いに包まれた。老いた叔母、亡くなった両親や兄姉、いとこたち。
時の移ろいの速さに割り切れない思いを抱きながら、私は叔母の家を後にした。

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by mint-de | 2011-01-27 20:30 | 記憶の鞄

車窓からの眺め

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以前見たNHKの番組「熱中時間」の特集で、各地の寝台列車に乗って、その車窓風景を撮影している方がでていた。
障害者や病気で列車の旅ができない人に、見てもらいたいといっていた。
乗車すると、ひたすら窓の外を見ていて、決して眠らないという彼の情熱には驚いた。

私も、乗り物から眺める景色は好きだ。
自分が普段歩いている目線とは違う高さや速度で見る風景は、同じ風景でも、どこか違って見える。そして、一瞬のうちに通り過ぎる風景に、もう二度と見ることができない景色かもしれないと思うと、何か切なさのようなものさえ感じてしまう。

今年のイタリアの旅は、ほとんどバスで移動した。
バスの窓から見える風景は、日本と同じようで、どこか違う。
ただ眺めるだけでも、飽きることのない旅だった。
高速を走っているときに、赤や黄色のカラフルな車体のトラックをよく目にした。
イタリアはトラックまでオシャレ! 送電線をつなぐ鉄塔は、日本より細いように見えた。
畑がつづく田舎の風景は、日本と同じような景色。
観光地で、たまたま入ったスーパーでは、地元の人たちが買物をしていた。
その姿は日本とほとんど変わらない。人々の暮らしに、それほど違いはないのだ。
私は、その違いのなさに、ホッとした。懐かしい人々を、見たような気がした。

車窓から眺める景色は、自分が降りない場所。
見えているけれど、自分がいない場所。
人は、一生のうちに、どれだけ違う風景を見ることができるのだろう。

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by mint-de | 2009-12-05 16:29 | 記憶の鞄

ポテトサラダの味

ある情報誌を読んでいたら、ポテトサラダに牛乳を入れるレシピが載っていた。
私は、いつもマヨネーズに酢とからしをちょっとだけ入れてつくっていたけれど、
姉の命日が近いので、レシピ通りにつくってみた。
牛乳が入ったなめらかなポテトサラダ。
でも、その味は、8年前に姉が入院していた病院で食べたサラダに比べると、
いまひとつの味だった。
危篤状態の姉の病室に詰めていたとき、姉の友人が、何回か食事をつくって
持ってきてくれた。おにぎりや味噌汁、どれもとてもおいしかった。
外に食べにいく気力がないときに、そういった差し入れは、本当にありがたかった。
その中に、とてもなめらかなポテトサラダがあったのだ。
料理上手な方で、具材の切り方、味付け、どれもプロ並みの腕前。
みんなで、つかの間、姉のことを忘れ、その料理のおいしさを口にしたものだ。
私は、昔から料理をつくるのは苦手だった。
でも、人が困っているときに、こんな風に料理をつくってあげられる人になれたらいいな。
そのときは、そう思った。
いまだに、料理の腕はいまいちだが、なんとか腕を上げたいものだ。
姉が亡くなって、もう8年。
冬の日の、小雪の舞う空に時折見えた青空と、あのポテトサラダのおいしさを、
私はときどき思い出すのだ。
by mint-de | 2009-02-22 11:17 | 記憶の鞄

冬の夜に


寒い冬の夜に
家の犬は 犬小屋の前で
蛇のように 丸くなっている
背中をなでると
とても冷たい

私は 「あたたかくなれ!」といいながら
犬の背中を マッサージする
犬は 小さく尾をふり
気持ちよさそうに
私を 見上げる

散歩する 食べる 寝る
犬の1日
こんな生活に 満足かい?
犬が話せたら 何というだろう

犬の位置から
夜空を見上げる

星のまたたき
犬も私も
自然のひとつ

寒い冬の夜に
飼い犬の一生を
思う

by mint-de | 2009-01-27 22:05 | 記憶の鞄

上高地への想い

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姉の新婚旅行先は上高地だった。
私が上高地に憧れていることを知っていた姉は、おみやげに大きなポスターを買ってきてくれた。大正池と枯れ木の写真は、その後ずっと私の部屋に飾ってあった。
姉が最後に旅行したのも上高地だった。
亡くなる半年ほど前の夏、札幌から松本まで飛行機でいき、義兄に抱えられるようにして梓川のほとりを歩いたという。そのときの写真が、姉の家に飾ってある。
私は家を訪れるたびに、その写真をじっと見る。
薬の副作用で丸くなった顔が、こちらを見つめている。
悲しみや苦しみを超越して、達観した人のような静かな眼差し。
姉は、そのときどんな思いでいたのだろう…。
白く雪を頂いた山々やカラマツの黄葉を眺め、川の音を聞きながら、姉のことを想った。
上高地にくるたびに、私は姉を思い出すだろう。

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by mint-de | 2008-11-01 19:13 | 記憶の鞄

日傘の夏

北国の夏
青い空の下で 姉の白い日傘が揺れる
姉は ふわふわと 歩いている
まるで
足と地面の間隔を忘れた 人のように
命の道のりを 推し量れなくて 
困惑している 人のように
それでも 
日傘の下には 笑顔があった

北国の短い夏
白い日傘
束の間の
命の またたき
by mint-de | 2008-08-07 20:27 | 記憶の鞄

命の種

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今年も、ルドベキアが黄色い花を咲かせた。
姉が、亡くなる前の年に、自分の庭で育てた花の種を送ってくれたのだ。
毎年、鮮やかな黄色い花を見るたびに、ああ、今年も姉の花が咲いたと思う。
我が家の庭で、姉が育てた花の命が引き継がれている。
種が飛んで庭のあちこちに、もしかすると、隣の庭で咲いている花も、家から飛んでいったものかもしれない。
姉の命のはかなさに比べると、丈夫で繁殖力旺盛なルドベキア。
私は、そのルドベキアに、ときどき話しかける。

私には、姉との思い出の中で忘れられない思い出がある。
私は、小学校に入学して間もなく、忘れ物をした。そのことを姉に話すと、
「私がとってきてあげる」といって、姉は全速力で校門から駆けて行った。
心配しながら待っていた私の前に、息を切らして戻ってきた姉。
私にとって姉は、いつも頼もしくて優しい人だった。
もう一つは、犬との思い出。
12歳のころ、生後間もない犬を貰った。白いスピッツで、私は一緒に寝たりしていた。
でも、1年もたたないうちに病気になって死んでしまった。
私にとっては、初めてのつらい出来事だった。
父と私は、山のふもとにでかけて犬を埋めた。
後から帰って来た姉は、あんな淋しい所に埋めてしまっては可哀想だといい、翌日、
私と姉は、家の庭に埋めることにして、犬を掘り返しに行った。
1日たって、犬を入れたダンボールはとても重くなっていた。
私が「重いでしょ」といっても、姉は黙って、ダンボールを背負って歩き続けた。
あの夕暮れの暗さと悲しさを、私は、忘れることはないだろう。命と死と。

毎年、花を咲かせる命の種。
はかないけれど、たった一つの命。
庭をひときわ明るくする黄色い花、ルドベキアを見るたびに、生きることを大事にしたいと思うのだ。


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by mint-de | 2008-06-28 22:23 | 記憶の鞄