碧草の風

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カテゴリ:記憶の鞄( 17 )

母のこと

私の母は突然倒れた。朝、トイレで意識を失い、病院にかつぎこまれた。くも膜下出血だった。
それまで元気だった人間が、ほんの一瞬で重篤な病に陥るということを、私はそのとき、やっと理解することができた。 連絡を受けて会いにいったときは意識が戻っていたが、数日後、再出血してからは意識が戻ることはなかった。

再出血後、私が病院に駆けつけると、母はただ眠り続けていた。病室に響く測定器の音を、私は今でもときどき思い出す。命をはかるには、あまりにも機械的で単調なその音を。数日前に電話で話したときは元気だったのに、こんなにも簡単に、あっけなく死と向き合うことになる。その唐突さとやりきれなさに、私はただ重く息をはくだけだった。

私はその日から9時から5時まで、まるで勤務時間のように病室で看病したが、すべて看護師がやってくれたので、することはなにもなかった。
母が入院した病院は、かつて私が暮らした町の病院だった。病院から眺める景色は、私には懐かしい景色だった。昔、住んでいた社宅からは、いつも煙を吐き出していた工場と船が停泊する港が見えていた。
私は、その港の風景と母を見ながら、まるで絵のようだと思った。船は、いつも停泊したままに見えていたし、母はただ呼吸だけして、動くことはなかったからだ。

私は、一週間ほど、父の暮らす隣の市からその病院に通った。そして、母の病院を出ると、姉の入院先へ向かった。私にはとてもつらい日々だったが、姉にとっては、もっとつらい出来事だったことだろう。

その年の夏は、北海道の夏にしては、随分暑い日々だった。
私は、自分の住んでいる町にくらべると、あまりにも静かな日常に戸惑いながらも、急に訪れた故郷の日常に、懐かしさも感じていた。のどかな風景そのままの、ゆったり流れる時間に、落ち着かない思いもした。まるで、時が一歩すすんでは、二歩戻るような時の流れ。若い頃は、そののんびりさが嫌だったが、心地よく感じられるようになってきたのは、私が年をとったということかもしれない。

母は数日後に亡くなった。生きてきた時間とさまざまな思い出にくらべて、死というものは、なんとあっけなくやってくるものなのだろう。

私の母はおしゃべり好きで、明るい人だった。重たいものは、手にもつより背負ってしまうほうが楽だといって、なんでも風呂敷で背負っていた姿を、思い出す。私は格好悪いと思ったが、母は他人がどう思おうが、そんなの「関係ねぇ」人だった。かなりユニークな女性だった。大きな丸いスイカを背負い、ああ疲れたといって笑っているのである。枕が変わると眠れないといって、上京したときは、本当に自分の枕持参でやってきた。

法事で訪れると、山と海に囲まれ畑が広がるのどかな景色に迎えられる。
両親が2人で静かに暮らした町。
ささやかな人生がそこにあったことを、私は胸に刻むのだ。
by mint-de | 2008-03-05 15:26 | 記憶の鞄

墓地からの眺め

私の実家の墓地は、かなり高台に位置しているので、そこからは市街地や海、湾を隔てた向こうに連なる山並みが一望のもとに見渡せる。
天気のいい日は気持ちのいい眺めだが、悪天候のときは、霧で墓の場所がわからなくなったり、風が強いとローソクに火をつけるのも大変だ。

父の一周忌できたときは、ひどい雨と風の強い日だったが、
兄の納骨の日は、秋の日差しが柔らかく注ぐ、いい天気だった。
2月に危篤に陥った兄は、半年間入院して永久の眠りについた。
手しか動かせなくなったやせ細った体で、病にじっと耐えていた兄。
そんな兄を前にして、他愛無いことばかり話していた私。
私はいったい何をいえばよかったのだろう…。
食事以外で唯一口にできた氷を、おいしそうにカリカリかんでいた音を、
私はときどき思い出す。その音は、12年間病を抱え、さらに妻を亡くし、
思い通りに生きられなかった人生への、ささやかな抗議の声のようにも聞こえた。
カリカリ、カリカリ…。

去年の父の納骨では、杖で体を支えながら懸命に墓地を歩いていた兄。
父親を最後まで見届けることが、長男としての兄の最後のつとめだと思っていたのだろう。

墓地の端から見える、どこまでも続く蒼い海、雄大な山の姿。
人の一生のはかなさ。
命には必ず終わりがある。
「死に縁取られた生」という作家の言葉が胸をよぎる。
いま生きている命より多い、無数の魂が眠る大地。

私は、虚しい思いを抱きながらも、遠く広がる風景を美しいと思った。
時折白く光るのが、土にかえった人々の魂のかけらのように見えたのは、
墓地からの眺めのせいだったのだろうか。


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by mint-de | 2007-10-18 15:56 | 記憶の鞄

明かり

街ではクリスマスを控えて、趣向を凝らしたイルミネーションが華やかだが、この電球の色の組み合わせで随分感じが違ってくることを、最近感じている。
近くの通りでは、青色のみの電球を使って装飾しているのだが、これがあまり華やかさを感じさせない。とても冷たくて寒々とした印象なのだ。多分、専門の知識をもったデザイナーの方が考えているのだとは思うが、この道を歩くたびに何とかしてほしいと思ってしまう。せっかくのクリスマス気分も沈んでしまいそうだ。d0129295_1515250.jpg 

私が今まで見た中で、イルミネーションの豪華さで一番だと思っているのは、東京ディズニーランドのパレードだ。
冬の夜空の下、寒さをこらえながら待っていた私たちの前を、夢のように輝くイルミネーションがゆっくりと移動してくる。あの明かりのもつ不思議な美しさは何なのだろう。夜の闇に輝く色の点滅、一瞬の暖かさ…。
もう随分前のことだけれど、イルミネーションというと、あのパレードを思い出す。

夜の飛行機から見える明かりも、とてもきれいだ。北海道から羽田まで、関東圏を除くと暗い闇の部分のほうが多いが、そんな中で、ぽつりぽつりと明かりが見える。時折見える、一筋の光の道のように続いている自動車道。空から眺めるとき、地上にはいろんな生活があることを、思い知らされる。懐かしさとぬくもりも伝わってくる。そして思うのだ。暗いからこそ明かりが美しいと思えると。

家も外も明るすぎる世の中、たまには暗くしてものを思うと、見えないものが見えてくるかもしれない…。   


       
by mint-de | 2007-09-27 15:16 | 記憶の鞄

夏祭り

市内では、あちこちでお祭りや盆踊り大会が催されている。
浴衣を着た人を見かけたり、お囃子や花火の音が聞こえてくると、夏の華やいだ独特の季節感に、弾むような気持ちになる一方で、妙な切なさも感じてしまう。
花火のような一瞬の華やかさが、逆にそのあとの闇をより暗く感じさせてしまうのと、似ているかもしれない。

近所に、お祭りの好きなおじいさんがいた。露天商をしていた人で、ずっと、町のお祭りでおみこしをかつぐ子どもたちに、アイスをサービスしてくれていた。
お寺の境内でお祭りの準備をしていると、その様子をタバコを吸いながら、楽しそうに見ている人だった。

数年前、祭りの数日前だったろうか、私が境内から出て坂道を下りていくと、下のほうで、杖をついたおじいさんが立ち止まって、坂の上を見ていた。
夏の空の下、ちょうちんが道の両側を飾り、そのおじいさんが、まるで絵の中にいるように見えた。
坂を上ろうとしているようだったが、上る気力がないようにも見えた。ただ、祭りの気分を身体で味わうかのように、穏やかな表情で坂を見上げていたのだ。
翌年のお祭りを、おじいさんは見ることができなかったので、私はこのときの光景が、お祭りのころになると思い出される。たぶん、おじいさんは、お祭りが見納めになるのをわかっていたのだろう。

華やかさと切なさ、それが私の夏祭りのイメージだ。
by mint-de | 2007-09-27 14:57 | 記憶の鞄

思い出の湖

夏になると、クッタラ湖という湖を思い出す。その湖は、北海道の登別温泉からバスで30分くらいのところにあった。
周囲8キロのカルデラ湖で、摩周湖につぐ透明度を誇っていたわりには、知名度は低かった。

高校生の頃、友人とキャンプをし、卒業してからの数年間、そこでキャンプをするのが私達の夏の行事だった。
キャンプ場は、レイクハウスの対岸にあり、訪れる人があまりいなくて、いつもとても静かだった。私たちしかいないのではないかと思えるときがあり、ボートに乗ったり、泳いだり、まるで自分たちだけの湖のような気持ちで、その夏の日々を楽しんでいた。

ボートを漕いでいくと、湖に沈んでいる木々があまりにもよく見え、その幻想的な風景は、引き込まれそうで怖いくらいだった。
周囲の木々の緑が湖面に映え、エメラルド色に輝いていた湖。私は、その湖の美しさに、訪れるたびに感動していた。
ジンギスカンの肉や野菜の焼けるにおい、友人の笑顔、夏の青空。
もう何十年もその湖を訪れたことはない。

多分、あの神秘的な湖の美しさを、あの頃感動したように、味わうことはできないだろう。
でも、またいつかあの湖を訪れてみたい。そのとき私は、その湖を見て何を思うだろう。

(この記事を書いたあとで、湖に行く機会があった。11月下旬で夏とは随分違うイメージだった)

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by mint-de | 2007-09-27 14:54 | 記憶の鞄

最後の場所

私の父は、母が亡くなってから5年間、北海道で一人暮らしをしていた。
しかし、肺がんで余命1年といわれ、89歳という高齢でもあるので、私の住む近くの介護付き有料老人ホームに入居してもらうことになった。父は、こちらにきてからたった4か月で亡くなった。
その4か月に起きたことを、私は一生忘れないだろう。

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by mint-de | 2007-09-27 14:43 | 記憶の鞄

正月の音

私は郷里の北海道の正月を想うとき、幼い日の記憶の音、車のタイヤ・チェーンの音を思い出す。多分、母と一緒に正月用の買物にでかけて、行き交う車の多さに師走の賑わいを重ね、ひとときの華やいだ雰囲気を感じていたのだろう。

雪に包まれた静かな町に、ジャラジャラと響きわたる音は、豪快で、子供心に何か未知なるものへの畏怖を感じさせた。今は、雪用のタイヤだから、ほとんどあの音を聞くことはない。

私は二十年近く正月に帰省したことはなかったが、一人暮らしの父と正月を過ごすため、母と姉が相次いで亡くなってから、一人で帰っていた。

私が田舎の駅に着いて驚くのは、その静けさだ。駅からまっすぐ延びる道に、人影はない。ただ粉雪が、風に舞っているだけだ。食材を買える唯一のスーパーは営業をやめ、建物だけがそのまま残っている。町は、年々さびれていく一方だ。

父は、まるで近くの家から立ち寄った人を迎えるように、私を迎える。それが父流の挨拶だ。もともと寡黙で、かなり耳の遠くなった父とは、会話らしい会話はない。
静かな室内は、石油ストーブの上で湯気をあげるやかんの音だけが、時を刻んでいるかのようだ。
私は、その静けさに身の置き所がない。そして、亡くなった人の不在をしみじみ思い知るのだ。

私は、あまりにも静かな正月に戸惑いながら、あのタイヤ・チェーンの音とともに、湯気の立つやかんの音を、故郷の正月の音として胸に収めた。対照的な音の違いは、まるで人生の明暗のようだが、私は、その静けさも悪くはないと思っている。

数日の滞在で、私はまた人気のない道を歩いて駅に向かう。小さな駅舎の向こうには冬の陽に光る海が見える。美しい景色だといつも思う。そして、時の流れと静寂の深さに切なくなるのだ。

一両編成の列車に乗り、冬の海を眺めながら、父の姿に自分の老後を重ねて、私は故郷を後にする。いつか一人になったとき、私はこの町の静けさを思い出しそうな気がする。
 (2004年記)
by mint-de | 2007-09-27 12:10 | 記憶の鞄