カテゴリ:社会畑( 78 )

チャコ(食べる土)

今日の朝のNHKニュース「おはよう日本」で、アンデスのチチカカ湖周辺では、チャコと呼ばれる土を食べる習慣があると聞いてビックリ。
地面を深く掘っていくと粘土質の土があって、それを水で薄めると、チーズのような濃厚な味わいになるとか。
向こうのジャガイモは原種に近いため、芽に毒があるので、それをジャガイモにつけて食べると、チャコに含まれているカオリンという物質が毒消しになるそうだ。カオリンは胃薬としても役に立つとか。
泥を食べるなんて、子どものころの泥んこ遊びを連想するけれど、本当に食べられる土があるなんて、オドロキだ。
温泉も体にいいけれど、地球の奥深く、人間にはまだまだ役に立つものが隠れているのかもしれないと思ったりする。
それにしても、どうしてそんな土を食べてみようと思ったのか?
ナゼ、食べられることに気づいたのかなあ…。
by mint-de | 2007-12-10 16:16 | 社会畑

乗り物のマナー

先日、電車に乗っていて聞いた車内アナウンスの内容に、ちょっと考えさせられた。
「新聞を広げたり、ヘッドフォンからもれる音など、他のお客様の迷惑にならないようにして、お客様同士のトラブル防止にご協力を」という内容。
最近は、キレる大人が多くなったと新聞にも載っていたけれど、たまっていたストレスが、思わぬ形で噴出してしまう人たちが増えているようだ。
明らかに相手に非がある場合でも、黙って見過ごすか、しょうがないやと諦めなければならないときがある。そういうことがたまっていくと、あるとき、爆発してしまうのかもしれない。うまく相手にわかってもらえるようにいえればいいけれど、最近は、相手がどういう行動にでるかわからないから、怖くていいたいこともいえなかったりする。
私も、この間、不快な思いをした。北海道から帰る飛行機で、私の隣に座ったおじさんは、足を広げて座っていて、私の領域の半分くらいまで侵入してきた。当然、私の陣地は狭くなる。その時は、夫が横にいたので、夫のほうに足を向けることでなんとか我慢できたが、「狭くなります。見てわかりませんか」といいたい衝動を抑えていると、余計イライラして、こういうことがキレることにつながったりするのだなあと思ったりした。
それから、電車に乗っていて、立っている自分の前の席が空いたので座ろうとしたら、横に立っていた人が、当然のように座ってしまったことがあって、頭にきたことがある。私の前の席なのだから、私が座れるはずと文句をいいたいところだけれど、そんな法律はないわけで…。暗黙の了解でなりたっているものは、微妙に宙を舞うもので…。世の中図々しい人が得をしたりするわけで…(苦笑) 
いろいろあるけれど、狭い空間を大勢の人間が利用するのだから、なるべく他人に迷惑をかけず、マナーを守り、穏やかな気持ちで、乗っていたいものである。

d0129295_1501638.jpg
by mint-de | 2007-11-02 14:58 | 社会畑

病院とは…

奈良県の町立大淀病院で、重体になった妊婦が19もの病院に搬送を断られ、結局、搬送された病院で出産後に亡くなったというニュースは、本当にお気の毒で胸が痛む。医師の判断ミスで、助かったかもしれない命が失われてしまうなんて、遺族にとっては無念でたまらないことだろう。

私たちは、病気になったら、病院や医者を信じるしかない。けれど、こんな事件を聞くと、もしかしたら、とんでもない目にあうかもしれないと不安を抱きながら、治療を受けなくてはならない。そして、今回、つくづく思ったのが、医者も専門外だと役に立たないということ。それと、19もの病院が患者の受け入れを拒否したということに、憤りを覚える。命にかかわることなのに、ベッドが足りないということが理由になるのだろうか?病院が、リスクを負いたくないと言い出したら、私たちは、重い病気になったとき、どこにいけばいいのだろう?

病院が、患者を選ぶということを、つくづく思い知った。その病気に対応してくれるのではなく、対応できる病気じゃないとダメということは、当たり前のことなのだろうか? 病院で働く医師や看護師たちも、いい人ももちろんいるが、その働きぶりに疑問を感じる人もいる。私が今まで見たなかで、一番ひどいだと思ったのは、姉が亡くなるまで入院していた病院の看護師だ。もう何日ももたないといわれ、身体を自分で動かせなくなっていた姉に向かって、身体の向きを変えようとした看護師が、「自分で動かす気持ちになって」といったのである。私は、その言葉に唖然とした。もう死にそうな人間をいたわるのではなく、自分の仕事を早く片付けようとしているのが見え見えだった。そして、亡くなってから、「それほど苦しまなくてよかったですね」といったのである。「あなたに姉の苦しみの何がわかるのか?」と、怒鳴り返したい気持ちになった。

そんなこともあり、私にとって、病院はあまり感じのいい場所ではない。病院が好きなんていう人はいないだろうけれど…。(2006年10月記)
by mint-de | 2007-09-27 15:11 | 社会畑

たまには少数派で

私は、ベストセラーとか話題の映画が「○○部突破」「もうご覧になりましたか」といった宣伝文句が我が物顔に流れ出すと、もう見る気がしなくなる。

なぜなら、「より多くの人が見た」ことは、量的なものであって、見た人の目の水準は考慮されていないし、万人向けのこびをそこに感じてしまうからだ。
しかし、本や映画に限らず、多数の支持を得た情報は、好むと好まざるとにかかわらず、モンスター並みの勢いで、我々の生活に入り込んでくる。

振り返ってみると、私たちは小さいときから、「多数決」で多くの物事を決め、そうして決まったことを基準に、行動するという教育を受けてきた。
クラス委員、学芸会、運動会などなど。だが、多数決による解決は、「ひとつの選択」であって、必ずしも「正解」ではない。

「たまには、一番少ない意見を採用してみましょう」なんて、言ってくれる先生がいたらおもしろい。いろんな価値観をもった人間がいると、身をもって知ることができるだろう。

私が今の社会で危惧しているのは、情報の画一的な伝え方だ。
人気作、話題の人、出来事など、流行の話をしていれば、ひとまず安心といわんばかりに、その話題だけを執拗に繰り返す。そのメディア側の姿勢に疑問を感じる。
十の出来事があれば、十それぞれに関心をもつ人がいるのだ。同じ出来事の羅列では、世の中が豊かになるはずもない。

ひとつの映画が超話題になる現象よりも、さまざまな映画が論評される社会のほうが、より寛容であり、文化的な水準も高められると思う。
数字に惑わされないで、もっと自分たちの目を養いたいものだ。たまには、あえて少数派に身を置くことも悪くはないと思う
by mint-de | 2007-09-27 15:02 | 社会畑

動物愛護とは?

タヒチ在住の直木賞作家の坂東さんは、飼い猫のメスが生んだ赤ちゃんを殺しているという。
動物にとっての生を考えた末に、飼い猫の生を充実させるために避妊手術をしないことにしたので、生まれてきた子猫を殺しているという。

私がこれを読んで疑問に思ったのが、人間は他の動物の避妊手術をする権利などないといいながら、子猫を殺しているということ。
だったら、生まれてきた子猫にだって、何もする権利なんてないのではないだろうか。
自然界では弱肉強食は当たり前だ。でも、ペットとして育てられた飼い猫に、一方では動物愛護の姿勢を見せ、他方では自然淘汰的な考えをすることに、釈然としないものを感じる。
だいたい避妊手術よりあえて罪の意識を伴う子猫殺しを、なぜ選択できるのか、私にはものすごく不思議である。
出産を体験させたかったら、1回生ませて、その後、避妊手術をする方法を、私なら選びたい。(2006年8月記)
by mint-de | 2007-09-27 14:07 | 社会畑

地球上の動物

私は、特に犬が好きなわけではない。ただ家で飼っていて、普段は私しか世話をする人がいないので、散歩に出かけているのだが、以前飼っていた犬を散歩させていた頃とくらべると、最近は犬が増えているように思う。

小型犬などは、癒やし系のペットとして重宝されている面もあるようだが、あまりにも小さい犬を見ていると、人間の都合のいいように交配された不自然なものを感じる。とても可愛いとは思えず、何か哀れになるのだ。人間がこんな風に作りかえてしまっていいのだろうか。そんな疑問もわく。

だいたいペットを飼うという行為そのものが、人間の身勝手さのあらわれのようにも思えてくる。うちの場合は、外につないで飼っているけれど、わずかな空間でしか過ごせない毎日を送っていて、犬は何を思っているのかなあと、ときどき考えてしまう。
夫は野山で暮らす野犬よりはましだというけれど、野山で暮らせなくなったのは、人間のせいなんだよね。

クマやサルの出没も問題になっているけれど、人間生活に害を与えるからといって、動物を人間の勝手で処分してしまうのは、やはり間違っている気がする。
確かに迷惑をこうむっている人達は、お気の毒だと思うけれど、地球は人間だけのものじゃないわけで…。

でも、人間同士の戦いに終わりがないことを思うと、いろんな動物との共生もなかなか難しいことだなあと思うこの頃である。
by mint-de | 2007-09-27 14:03 | 社会畑

多数がよければいいのか

最近いいかげんにしてほしいと思っていることの一つに、誰かが「いい」と言い出すと、そればかりがもてはやされること。

まあマスコミや企業の方々の「儲け隊症候群」(笑)といってしまえばそれまでだが、自分がちっとも「いい」とは思っていないものがもてはやされると、いいかげんうんざりする。
たとえば、テレビ番組で80パーセントの人がAというドラマを好むとしよう。でも10パーセントの人がB、残る10パーセントがCを好むというときに、多数が好むAばかりを放送していたら、BとCを好む人はどうしたらいいわけ?

本当に公平にするなら、BとCも放送するのが当たり前。民放は、稼がなければ経営が成り立たないからまあしょうがないとしても(これにも文句はあるけど)、受信料を国民から取っている局がそういうことをしていると、やはり変だなって思う。

びっくりしたのは、「冬のソナタ」の字幕版を放送するということ。またやるの? ビデオやDVDが出ているのに、これで何度目? 
もっと放送してほしい海外ドラマがいっぱいあるのに、多数が望めば何でもやるのって言いたくなる。

感想のメールがすごい数とか、放送時間が遅れたら苦情がいっぱいきたとか、数が理由で何でも動くなら、担当者のポリシーなんていらなくなるし、ただ数字に右往左往してればいいことになるんじゃないの。

でも、「冬ソナ」効果って、すごいらしいね。いろんなところが潤っているらしい(笑)。それと、おば様アンドおばあ様方の購買力と存在価値を知らしめたという意味では、よかったのかもしれない。(2004年12月記)
by mint-de | 2007-09-27 13:50 | 社会畑

死の捉え方

先月(2005年1月)の朝日新聞で「死、命の言葉に」という記事の中に、
イラクで殺された香田証生さんの死について考えた明大の助教授の話が載っていた。

ゼミで学生がアンケートをとったところ、学生367人の半数以上が香田さんの行動に否定的だったそうだ。
私もあんな状況のイラクにのこのこ出かけて行くなんて、なんて非常識なんだろうと、最初は思っていた。

でも「すいません、日本に帰りたいです」というあの言葉を聞いたときは、なんともやり切れなく、「助けて」と言わずに、「すいません」「帰りたい」という言葉の裏にある彼の真情を思うと、哀れでならない。

彼が救われなかったことと、彼の死がいたしかたのないように思われることは、やはり間違っているし、イラクをそんな状況に追い込んでしまった何者かに怒りは向けられるべきだと思う。

助教授の川島高峰さんは「その死をどう評価するかは、彼の人柄ではなく、それを評価する人の人柄に現れるのだと思います」、と語っている。(2005年2月記)
by mint-de | 2007-09-27 11:42 | 社会畑

見たり聞いたり、日々思うことをあれこれと…


by mint-de