碧草の風

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カテゴリ:シネマ(た~ほ)( 31 )

「扉をたたく人」

「扉をたたく人」 (2007年 アメリカ映画 監督トム・マッカーシー)

コネティカットに住む大学教授のウォルターは、妻を亡くしてからは、淡々と仕事をこなし孤独な日々を送っている。あるとき、学会でニューヨークにでかけたウォルターは、自分の別宅であるアパートに、見知らぬ人間が住んでいて驚く。
若いシリア人のタレクと恋人のセネガル人ゼイナブ。
二人は、騙されてそこを「借りて」いたのだという。
慌ててでていく二人を見送ったウォルターだったが、行くあてのない二人に同情して、しばらく一緒に住むことにする。

タレクは、ジャンベ(アフリカン・ドラム)奏者。ジャンベの素朴で力強い音色に興味を持ち始めるウォルター。
タレクはウォルターに、ジャンベのたたき方を教える。戸惑いがちに、心を開いていくウォルター。
ぎこちなかった三人の関係が深まった頃、突然、ある出来事が襲う。
タレクは地下鉄の改札バーを飛び越えただけで、逮捕されてしまったのだ。
そして、ウォルターは、そのときはじめて、タレクもゼイナブも不法滞在者だったことを知る。
自分のせいで逮捕されてしまっタレクを何とか救おうと、入管の拘置所に面会にいって、タレクを励ますウォルター。その後、息子を心配したタレクの母モーナが、ウォルターを訪ねてくる。
次第に惹かれあうウォルターとモーナ。ウォルターはモーナに、今までは仕事をするフリをしていただけ、これからはタレクのために何とかしたいと話すのだったが…。

アメリカの移民対策は、9・11以後厳しくなったという。タレクがイスラム圏の人間ではなかったら、逮捕されることはなかったかもしれない。移民が築き上げた国は、今では移民を選別する国になってしまった。拘置所の対応に憤ったウォルターが、こんな扱いが許されるのかと怒るシーンが印象的だ。
モーナは、難民の申請を途中でやめてしまったことを悔やんでいたが、その国にいたいと思っても許されない人々は、一体どこへ行けばいいのだろう。
法の下では情は通用しない。でも、人間から情をとってしまったら、一体何が残るだろう。

ウォルターは一人で、地下鉄の構内でジャンベをたたくようになる。
構内に響く音色は、やってくる車両の轟音にかき消される。
まるで、巨大な権力はすべてを奪えるとでもいうように。
それでもウォルターは、ジャンベをたたき続けるのだった。

タレクのお陰で心を開くようになったウォルターだが、こんな経験をしたら、さらに孤独が深まるような気もする。
でも、ジャンベをたたくことで気持ちは癒やされるのだろう。自らの手で演奏することによって、また生きることにかすかな喜びのような感情がわいてきたのかもしれない。
by mint-de | 2009-07-01 16:23 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「夏時間の庭」

夏の光に輝く庭の花々や木々、フランスの田舎町を連想し、勝手に想像をふくらませて観に行った。
残念ながら、私が期待していたほど詩的な雰囲気はなく、親が遺した家や価値のある美術品を、どう処分するかといった話がメイン。その過程で、思い出って何なのだろうとか、歴史ある絵画や彫刻は美術館に展示されるのがベストなのだろうかとか、観終わったあとで考えてしまった。

画家だった叔父が遺した家に住んでいた母親が、亡くなった。長男は、母親から、自分が亡くなったら家も膨大な美術品も処分するようにいわれていたが、その場所に愛着があった長男は、妹と弟にそのまま残して使おうと提案する。しかし、妹も弟も、海外に暮らしているので滅多にこれないしお金も必要なので、処分したいという。長男は自分の考えに固執せず、二人の意見に従うので、もめることもなく、スムーズにことが運んでいって、逆にその淡々とした進み具合に、過去のなかに埋もれてはいられない寂しさを感じた。

お手伝いの女性が、価値のある花瓶に無造作に花を入れる。その花瓶が、後日、美術館に展示される。
使われる花瓶と、ただ置かれている花瓶。家も、モノも、使うからこそ、愛着がわく。
そして、それぞれの思い出になる。
誰かの心に残ったモノは、また誰かの記憶に生きつづけるのかもしれない。
by mint-de | 2009-05-21 15:28 | シネマ(た~ほ) | Trackback(6)

「ホノカアボーイ」

「ホノカアボーイ」  (監督 真田敦)

ハワイの青い海と空の色、風のそよぎに癒やされる映画。
原作が小説ではなくてエッセーだったことを、観終わってから知った。
ファンタジーのような話だと思ったので、登場人物たちが実在したということに驚き、とても素敵な映画に思えた。著者の吉田玲雄さんも映画に出演されていたと知り、そのことにもビックリ。

ハワイ島にある日系移民の小さな町ホノカア。
その町で、映像技師の見習いとして働き始めたレオ。
ある日、ビーという女性の家に届け物をしたレオは、ビーがなかなか現れないので、家のキッチンで鍋の蓋をあけ、思わず料理をつまみ食いしてしまう。その姿を見たビーは、猫のエサなのにうまいうまいというレオを可哀想に思ったのか、それとも一人暮らしの寂しさからか、毎日ご飯を食べにこいという。それからビーとの心温まる交流が始まる。

エロ雑誌を見るのが唯一の楽しみの老人コイチ、映画館の経営者で食べることが趣味のエデリ、暇なときは寝てばかりいるような町の人々。レオは、そんな町で恋をし、月の虹を見たいと思ったり、別れを経験したりする。ゆったりとした時間の流れのなかで、食べて、恋をして、よく寝る。生きていくということは、ただそれだけでいいと思えるような日々。
おいしそうな料理がいっぱいでてくる。まるで、おいしいものを食べることが、人生の栄養になるといわれているよう(^^)

冒頭は、ハワイ島のゴツゴツした岩場の灰色のシーンから始まるが、ラストが、緑の草の風景で終わるのは、レオの豊かになった心を表現しているのだろう。
by mint-de | 2009-03-18 08:03 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「ディファイアンス」

「ディファイアンス」  (2008年 アメリカ映画 監督エドワード・ズウィック)

実際にあった話。そのことに圧倒される。
生と死のギリギリの境界線上を、綱渡りのように歩かざるを得なかったユダヤ人たち。
人間らしく生きたい、その思いで3年もの間、森の中に隠れ潜んでいたという。

1941年夏、ナチス・ドイツ軍に侵攻されユダヤ人狩りが始まった町から、多くのユダヤ人たちが、ベラルーシの森に逃げ込んでいた。ビエルスキ家の兄弟たちも、両親を殺され、森に潜んでいた。トゥヴィア、ズシュ、アザエル、アーロンの4人。やがて、トゥヴィアたちの回りには、逃れてきたユダヤ人たちが集まり、その数は次第に増えていく。

復讐に燃えるトゥヴィアたちは、武器を奪い、「ビエルスキ・パルチザン」を名乗って、ドイツ軍の兵士や協力者を殺し、食料を強奪していくが、あることをきっかけに、トゥヴィアの考えが変わる。敵と戦うのではなく、動物のように扱われているユダヤ人が、「自由を取り戻し、人間らしく生きるため」に戦うのだと。トゥヴィアは、死を待つしかないゲットーの収容者にも呼びかけ、森の中に、共同体をつくっていく。

しかし、弟のズシュは兄の考えには同意できず、「本物の戦いをする」といい残して、ソ連赤軍に加わってしまう。喧嘩別れのようになってしまった兄弟だったが、共同体の危機を救ってくれたのは、ズシュだった。そして、トゥヴィアが打ちのめされそうになったとき、みんなを鼓舞したのはアザエルだった。普通の商店主や農民だった兄弟たちは、困難な状況のなかで、たくましくなっていったのだ。

飢えをしのぎ、寒さに耐え、敵から逃れるために命からがら移動し、敵の攻撃に怯える日々。リーダーとしてのトゥヴィアの苦悩。共同体のなかでは意見のくい違いや争いもある。それらを乗り越え、彼らは、森の中に病院や学校までつくり、町に姿を現したときには、1200人にもなっていたという。

森の中では、恋も芽生え、結婚式もある。
不自由な生活ではあるけれど、心の自由は奪われてはいない。
生きるという強い意志に支えられた彼らの強靭さに、心を打たれる。

ダニエル・クレイグのボンド役は一作しか見ていないけれど、この実直そうな役のほうが合っている気がした。
by mint-de | 2009-02-19 14:51 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「Dear フランキー」

昨日、BS2で放送されたので、久し振りに「Dear フランキー」を観た。
私にとっては、ときどき映画のシーンを思い出し、なぜか懐かしい気持ちになる映画だ。
グラスゴーの港の風景が、故郷に少し似ているせいかもしれないが、あのバックに流れるピアノ曲と港の風景が、とても気に入っている。
映画の公開時に観た感想はここに載せているけれど、以前、疑問に思っていたフランキーが本当の父親のことを知る過程は、この展開でよかったんだと、今は納得している。
フランキーは、父親を求めていたわけだけれど、実際に会った父のフリをした男は、フランキーにとって、思い描いていた通りのいい父親だったのだろう。その後、本当の父親が病気で亡くなったことから、自分が遊んでもらった父親は実の父ではないと悟り、母や周囲の温かな心づかいに気付いたのだと思う。
父親のフリをしてくれた男に、感謝を込め、友達としてまた会いたいという気持ちでラストの手紙を書いたのだろう。
最初の感想にも書いたけれど、抑制がきいていて、優しくて、温かで、絵画を思わせる映像といい、私のお気に入りの映画である。
by mint-de | 2008-11-27 14:07 | シネマ(た~ほ)

あまりにも遅い「つぐない」

「つぐない」 (2007年 イギリス映画 監督ジョー・ライト)

イアン・マキューアンの小説は、第1部の話の流れに馴染めず、斜め読みしてしまったので、そんな落ちこぼれ読者にとって、映画は、ものすごくわかりやすくて、つぐないよりも愛がテーマの作品のように思えてしまった。

原作では、「神が贖罪することがありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない」とか、「真実と、想像の結末」とか、小説家に何ができるのかといった、いろいろ難しいテーマが込められているけれど、映画に関しては、セシーリアとロビーの切ない愛、ブライオニーの罪とつぐない、そんな愛も罪もつぐないも、こっぱみじんにしてしまう悲惨で非情な戦争が、淡々と描かれている。

1935年の夏、13才のブライオニーは兄の帰省を祝って戯曲をつくる。書くことが好きな多感な少女は、姉セシーリアと使用人の息子ロビーのある行為を目撃し、複雑な感情を抱いてしまう。ブライオニーのロビーへの片思いがそうさせてしまったのかナゾではあるが、ブライオニーの語った、装飾された事実によって引き裂かれてしまうセシーリアとロビー。後年、ブライオニーは二人に謝罪しようとするけれど、あまりにも遅い行為に、私は呆れてしまう。

セシーリアとロビーの悲恋は、二人の愛の強さと情熱が、「悲しさ」を「美しさ」に昇華させていて、上質なラブストーリーを見ているようだった。前半の明るい田舎の風景に比べると、北フランスで敗走する兵士たちを描いたシーンや、傷を負った兵士たちで一杯になるロンドンの病院のシーンは、とても重い。個人ではどうしようもない大きな力で奪われてしまう命のはかなさ。戦場の無数の死体に打ちのめされるロビーは、ブライオニーと戦争によって、夢見た人生を断ち切られてしまったのだ。セシーリアへの思いを支えに、不安な日々を耐え続けたロビーが、あまりにも哀れだ。

老年のブライオニーが創作した二人の幸せな結末。私も、あの青い海を見下ろすコテージで、二人が仲良く暮らすその後を想像したい。
by mint-de | 2008-04-19 20:18 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「パンズ・ラビリンス」(DVD)

「パンズ・ラビリンス」 (2006年 スペイン・メキシコ映画 監督ギレルモ・デル・トロ)

いい映画だった。過酷な現実にファンタジーを織り交ぜ、どんな境遇にあっても自由な心を持ち続けることの素晴らしさと、戦争の悲惨さ、独裁者への批判を描いている。

1944年のスペイン、ゲリラとフランコ軍の戦いが続いている時代に、少女オフェリアは、母親の再婚相手であるフランコ軍の大尉のもとへやってくる。母親の体に宿る自分の子どもにしか興味のない冷酷な大尉に、オフェリアはなじめない。

そんなオフェリアの前に、やってくる途中で見かけた妖精が現れる。妖精に導かれて、オフェリアは迷宮の守護神パンに会う。パンがいうには、オフェリアは地下の魔法の国の王女で、父親がずっとオフェリアを待っているという。3つの試練に耐えられれば、亡くなった父親に会えるかもしれない。そう信じたオフェリアは、試練に挑むことにする。

過酷な現実を、なんとか乗り越えようとする少女オフェリア。
ゲリラの弟のために、危険を冒しながら大尉に仕えるメルセデス。
人として仕事をする良心的な医者。圧政下で試される、人間としての行い。
最後の試練で、オフェリアはパンの指示に逆らってしまう。
それは、人間として許されない行為だったから。

オフェリアは勇敢で夢見がちな少女だ。結末は悲しいけれど、彼女の想像力が彼女を救ったといえるだろう。

この映画が公開当時、映画評を読んでも、どういう映画なのかピンとこなかったけれど、やっと納得できた。ファンタジーが現実をよりリアルにあぶりだしている、すぐれた映画だと思う。
by mint-de | 2008-04-14 15:46 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「ノーカントリー」

「ノーカントリー」 (2007年 アメリカ映画 監督ジョエル・コーエン イーサン・コーエン)

人は生きている限り、他人を、世の中の出来事を、理解しようと努める。でも、どうしても理解できなかったり、絶望的な思いに身を置かざるをえないときがある。老保安官ベルは嘆く。昔はまだ理解できる事件があった。しかし、今は訳がわからない事件が多くて、自分の仕事の意味さえ疑問に思えてくる。彼は、ある事件を最後に保安官を辞めることにする。彼の嘆きは、現代の私たちの恐怖であり、理不尽な出来事への怒りであり、悲しみである。

メキシコ国境に近い、テキサスの荒涼とした大地。画面いっぱいに広がる大地は、まるで不毛の精神世界を暗示しているようだった。狩りをしていたモスは偶然、銃撃戦のあとの死体と麻薬、200万ドルの大金を見つける。モスがこの金を盗んだことから、彼は、殺し屋アントン・シガーに追われることになる。

このアントンがものすごく無気味。酸素ボンベをもち、そこから無言で弾を発射する。コインの裏か表で人殺しを決め、自分のルールで行動する。「殺す必要はないだろう」と相手がいっても、彼には通用しない。彼のルールがあるから。

こんな人間を理解することはできないし、したくもないが、今の日本でも、そこまでする必要があるのだろうかという事件が起こっていて、暗澹とした気持ちになる。

映画は最後まで緊張感に満ちていて、この怪物ともいえる殺人鬼の恐ろしさを徹頭徹尾描ききる。ラスト、上着をくれた少年にお金をやるのは、彼のルールか、それとも残されていたほんのわずかな優しさだったのだろうか?
by mint-de | 2008-04-10 14:10 | シネマ(た~ほ) | Trackback

私は自由 「プルートで朝食を」

「プルートで朝食を」 (2005年 アイルランド・イギリス映画 監督ニール・ジョーダン)

僕の、いえ、私の名はパトリック。キトゥンと呼んで。私はアイルランドで生まれたの。
母は、生まれたばかりの私を神父さんの家の前に置いて、いなくなってしまったの。幻の女になったのよ。
私は、養子にだされたわ。養母は、いつもガミガミ怒ってばかり。女の子になりたかった私は、きれいにお化粧をして女の子の服を着たりしたけど、養母はそんな私をひどく罵ったわ。学校の先生にもいつも怒られてた。でも、私は気にしないの。いつも明るく笑っていたわ。だって、笑うことで、ひどい身の上に耐えることができたから。

ある夜、ライダーから素敵なことを教えてもらったの。冥王星まで旅をするくらいの気持ちが大事。人生は、いろんな経験の積み重ね。政治的なテロで、無差別に人を殺したり、自分の思想を他人に強制したりすることより、とっても大切なことだって。だから、私は旅に出た。実の母、幻の女を捜すために、ロンドンへ。

いろいろあったけれど、運がよかったのは、バーの爆破容疑でつかまったこと。何も知らなかったけれど、警察署は居心地がよかったので、作り話をしたわ。でもその話は現実的じゃなくて、追い出されちゃった。私にひどい仕打ちをした警官が、その後で、いいお店を紹介してくれたの。お陰で父から話を聞けて、母にも会うことができた。母の幸せを壊したくなかったので、名乗らなかったけれど、うらんだりしていないわ。私の人生だもの。

いつもきれいにして、私はわたしのまま生きていくわ。私の心は、コマドリのように自由よ。誰にも私の邪魔はできないの。いつか、冥王星で朝食がとれるかしら?

とても面白かった。軽快な音楽もいいし、キリアン・マーフィーの演技も素晴らしい。
最近観た映画で、一番気に入った。どんな環境にもめげずに自分を貫くのは、大変なことだ。
でも、パトリックは人に馬鹿にされようが、真剣じゃないと眉をひそめられても、気にしない。
逆にどっちの行動が正しいのかと、問われているような気になるのだ。
続編があるといいな(^^)
by mint-de | 2008-01-21 09:32 | シネマ(た~ほ) | Trackback

友情と恋 「灯台守の恋」

「灯台守の恋」  (2005年 フランス映画)

カミーユは、島に住んでいた母が亡くなったので、家を売却するために島にやってくる。
そこで見つけた、母の死後に届いていた母宛ての封筒。その中には、アントワーヌ・カッサンディ著の「私の世界の果て」と題した本が入っていた。本には、父が働いていたジュマン灯台の写真があった。カミーユは、その本を読み、母の秘められた恋物語と父の深い愛情を知るのだった。

1960年代、灯台で働くために、閉鎖的で結束の固い島にやってきたアルジェリアの戦争帰還兵アントワーヌ。イヴォンのもとで仕事をすることになったアントワーヌは、次第に、イヴォンの妻マベに惹かれていく。アントワーヌとマベのひそやかな恋と、アントワーヌとイヴォンの友情。
島にいる限り、よそ者であり、イヴォンを裏切ることはできないと悟ったアントワーヌは、静かにその島を去る。
アントワーヌが去った後に妊娠したマベは女の子を生んだ。その子どもを溺愛したイヴォン。

叔母から、父イヴォンの深い愛情を聞かされたカミーユは、その家を売ることをやめにする。
そして、父とアントワーヌが働いていた、今は自動化されたジュマン灯台を訪れる。
そこには、父と本の著者アントワーヌが並んで写っている写真があった。
カミーユは、家族で過ごした家を残すことで、父の思いにこたえたいと思ったのかもしれない。それとも、叶わなかった母とアントワーヌの恋の思い出を残してやろうとしたのか…。

アントワーヌとマベの切ない恋と、いい人イヴォンとアントワーヌの友情。たとえ、アントワーヌとマベが一緒に逃げ出したとしても、二人は幸福にはなれなかっただろう。イヴォンの存在を、決して忘れることはできないのだから…。

しみじみとした余韻の残る、私好みの映画だった。
邦題だと、恋物語がメインのようだけれど、原題は「L' EQUIPIER」で、多分チームとかメンバーという意味なのだと思う。
by mint-de | 2007-09-27 16:08 | シネマ(た~ほ) | Trackback