カテゴリ:シネマ(ま~わ)( 19 )

「マルタのやさしい刺繍」

「マルタのやさしい刺繍」 (2006年 スイス映画 監督ベティナ・オベルリ) 

元気をもらえる映画である。いくつになっても夢をあきらめず、人生を豊かにするには、生きがいをもつことが大事。周囲の思惑を気にせず、自分で楽しみを見つける。「老いる」ことへの温かなメッセージも伝わってくる映画だ。

80歳のマルタは、夫の死後、生きる気力をなくしている。ある日、生地屋でレースに触れ、昔の自分を思い出す。下着をつくり、ランジェリーショップをもつことが夢だった自分。そのときから、また下着をつくりたいと思うようになるマルタ。友人のリージたちの助けもあり、着々と準備は進んでいったのだが、小さな村では、女性の下着の店なんて、とんでもなく「恥じさらし」なことなのだった…。

マルタや友人の息子たちが、保守的な人間として描かれている。息子や夫たちは、女を女という枠のなかに閉じ込めておけば安心だと考えているようで、そういった男たちを風刺しているところもおかしかった。
保守的な男たちとは対照的な友人リージを、夢を持ち続け、マルタたちの人生を豊かにしてくれたという言葉が印象的。周囲の目を気にして、好きなことをやめてしまうのは愚かなこと。そのことに気付いたマルタや友人たちの強さと優しさに、思わず拍手したくなる。
村の牧歌的な風景もとても美しかった。
by mint-de | 2008-11-02 16:44 | シネマ(ま~わ) | Trackback

「マンデラの名もなき看守」

「マンデラの名もなき看守」
(2007年 フランス・ドイツ・ベルギー・南アフリカ映画 監督ビレ・アウグスト)

この映画を見たあとで思ったのは、ネルソン・マンデラさんという人はすごい人だなあということ。本当にすごいとしかいいようがない。27年間も獄中にありながら、一貫して黒人社会の自由と平等のために戦った人である。
そして、アパルトヘイトの時代に、マンデラの偉大さに気づき、彼の側に立って考えようとした看守のジェームズ・グレゴリーも立派な人だったと思う。
周囲が当然のこととして受け入れていることに対して、「おかしい」といってしまうことはなかなかできないことだ。刑務所で四面楚歌のような状態になっても、彼は自分の態度を変えることはなかった。

自分のスパイ行為を悔いて、グレゴリーがマンデラに話しかけたときに、マンデラがいった「罪悪感や苦痛を未来の影にしてはいけない」(言葉は正確ではありません)、という言葉にハッとした。

映画のマンデラさんは、いつも穏やかで落ち着いた雰囲気である。私にとっては、マンデラ役のデニス・ヘイスバートは、最後まで「24」のパーマー大統領というイメージだったけれど(^^;)、存在感のあるいい味を出していたと思う。

看守のグレゴリー一家の、マンデラとは反対側の立場から描きながら、マンデラの功績をはっきりと映しだした手法は、なかなか見事だと思う。
by mint-de | 2008-05-29 16:06 | シネマ(ま~わ) | Trackback

「モンテーニュ通りのカフェ」

「モンテーニュ通りのカフェ」  (2006年 フランス映画 監督ダニエル・トンプソン)

映画のコピーは「人生に恋をした」。幸せな気分に浸れる映画です。
「カフェ・ド・テアトル」は、エッフェル塔を見上げるモンテーニュ通りにある。そのカフェで働き始めたジェシカは、常連客と顔なじみになり、彼らの人生の一端を垣間見ることになる。

有名な女優のカトリーヌは、今の仕事に満足していない。もっと実力を発揮できる仕事をしたいと思っている。そんな彼女にチャンスがめぐってくるのだが…。自分の感情をストレートに表現してしまう彼女の態度には、ちょっとあきれてしまうけれど、彼女のようなバイタリティーがなければ、女優なんて仕事はやっていけないのかも。彼女のタフさに拍手。

演奏会を控えたピアニストのジャンは、世界的な名声を得ているものの、満たされない思いを抱えている。彼のスケジュールを管理する妻に話しても、妻にはわかってもらえない。そんな彼は、演奏会の途中であることをしてしまう。その行為に笑ってしまうが、確かに演奏会で正装する必要はないのかも(^^)。少しお休みしたほうが、今後のためにはよいと思います。ハイ。

美術収集家のグランベールは、自分の人生とコレクションを天秤にかけて、コレクションを売ってしまうことを決意する。オークション会場で、亡き妻が愛した彫刻を息子が競り落とすシーンに、最初から言えればよかったのにと思った私(^^;)。その彫刻の名は「接吻」。ラストシーンのジェシカに、物語がバトンタッチされた洒落た脚本だ。

すべてが丸くおさまるハッピーエンドの結末。こういう映画がもっとあればいいのに。って前にもいっていた気がするけれど、ホント、こういう映画は楽しくて好き!
by mint-de | 2008-05-11 13:40 | シネマ(ま~わ) | Trackback(2)

「Rain レイン」(DVD)

「Rain レイン」 
(2003年 アメリカ映画 日本劇場未公開 脚本・監督マイケル・メルディス)

ヴィム・ヴェンダースが製作総指揮した映画。
チェーホフの短編を基にした脚本による群像劇。
ジャズの音色で始まる、クリーヴランドの雨の3日間。
息子を突然亡くし、悲しみにくれながら仕事をするタクシー運転手。
お金が入るあてもないのに、嘘を並べて子どもからお金を借りる酒好きの老父。
辛い思い出より楽しい思い出が多ければ、満足な人生だと納得していたはずの夫は、妻がホームレスに食べ物を与えなかったことに拘り、伴侶の選択を誤ったと思いつめる。
客が工事代を払ってくれず、部屋代を払えなくなったタイル職人など、登場人物はすべて、悩みや悲しみを抱えている。
やりきれなさを誰かにぶつけたとしても、余計虚しさが増すこともある。
自分の悲しみと他人の悲しみを比べることはできない。誰だって、他人の痛みを想像することはできても、自分の痛みのようには感じることができないから。
彼らのそれぞれの「結果」は、彼ら自身にゆだねられている。
雨が恵みの雨になるか、無慈悲な雨になるかは、人それぞれだ。
雨は、自然の前では無力な人間であるということを教えてくれる。
ジャズの調べが、余韻を残して、雨があがった。
by mint-de | 2008-03-18 14:10 | シネマ(ま~わ) | Trackback

「ミリキタニの猫」

「ミリキタニの猫」 (2006年 アメリカ映画)

この映画を観たのがちょうど9月11日ということで、映画が終わったあと、プロデューサーのマサさんが登場して、いろいろ質問に答えてくださった。マサさんがこのドキュメンタリー映画に関わることになったのは、まったくの偶然だったと知りびっくりした。ニューヨークの映画の講習会で、マサさんが日本人だったことから、リンダ・ハッテンドーフ監督が声をかけてきて、ミリキタニさんが書く日本語を訳してほしいと頼まれたのがきっかけだったとか。リンダ監督がミリキタニさんを撮ることになったのも、ミリキタニさんの絵がほしいとリンダさんが声をかけたことから始まったのだから、このドキュメンタリーは、かなり偶然の産物といっていいのかもしれない。はじめに意図がないことが幸いして、逆に真実が現実を裏付ける貴重で感動的な映画になったのだと思う。

ニューヨークの路上で絵を描いているホームレスのミリキタニ。彼は、絵を売ったお金しか受け取ろうとしない。リンダ監督がミリキタニさんを撮り始めてから数か月後、あの同時多発テロが起こる。炎上するビルの煙で路上生活が困難になったミリキタニさんを、リンダさんが家に来ないかと誘う。ホームレスを自宅に呼ぶリンダさんは、すごい人だと思う。善意という言葉だけでは表現できない寛大な精神の持ち主だ。ミリキタニさんは、他人の家に居候をしている身なのに、結構わがままで、どっちがその家の主なのかわからないほどいばったりしているが、リンダさんは、優しくそれを受け止めている。

リンダさんは、ミリキタニさんの社会保障に関していろいろ調べようとするが、彼はクソッタレなアメリカ政府からの援助は一切いらないと息巻く。アメリカで生まれ、3歳から18歳まで広島に住んでいた彼は、軍人になるのが嫌だったことと、絵描きを目指していたので、戦前にアメリカに帰ってきた。しかし、戦争がはじまり日系収容所に強制的に収容されてから彼の人生は困難なものになっていった。

ミリキタニさんの絵には、その収容所と広島の絵が多い。戦争さえなければ彼の人生はこんな人生ではなかっただろう。短いけれど、立派な反戦の映画だと私は思う。そして、彼のホームレスになっても、誇りを持ち続ける精神力と怒りを失わない人間性、リンダ監督の温かさと優しさがこの映画の魅力になっていると思う。

残されていた収容所を再び訪れたミリキタニさんは、もう怒ってはいないとつぶやく。
彼は、やっと、つらい過去の出来事を、人生の思い出の一部として受け入れることができたのかもしれない。
80歳を越えても鮮やかな色使いで描きつづけるミリキタニさんの絵は、とても個性的でパワフルだ。
by mint-de | 2007-10-25 15:04 | シネマ(ま~わ) | Trackback

「向かいの窓」

「向かいの窓」   (2003年 イタリア・イギリス・トルコ・ポルトガル映画)

2004年のイタリア映画祭で上映された映画。シネフィル・イマジカの放送で見ることができた。

夜勤の仕事をもつ夫に不満を抱きながらも、二人の子どもを育てているジョヴァンナ。ジョヴァンナは夫と街を歩いているとき、一人の老人に出会う。その老人は記憶をなくしていた。みかねた夫は老人を家へ連れてくる。善良な夫への苛立ちから、ジョヴァンナはその老人に冷たくあたるが、次第に老人の行動に興味をもちだす。

ジョヴァンナの慰めは、一日の終わりに台所でタバコをすうこと。彼女の目は、いつも向かいの窓に吸い寄せられる。そこにはエリート銀行員ロレンツォの姿があった。あるとき老人がいなくなり、偶然居合わせたロレンツォとジョヴァンナは言葉を交わすようになる。

ジョヴァンナと夫との微妙な心のズレ、ジョヴァンナとロレンツォの不倫、そして、ジョヴァンナと老人との心のつながりが描かれる。次第に明らかになる老人の過去はとてもつらい。ジョヴァンナや老人を通して、夢を持ち続けることや愛を貫くことの難しさが伝わってくる。やりきれない日々もある。思うようにならないときもある。でも、ジョヴァンナは、「去っていく人はみな何かをのこしていくのね」、そういいながら、ラストでは微笑むのだ。

多分、ジョヴァンナは大好きなお菓子を作りながら、夫と子どもと、これからも今までのように生活していくのだろう。地味ながらとても見ごたえのある映画だった。(シネフィル・イマジカ)(2006年6月記)
by mint-de | 2007-09-27 15:54 | シネマ(ま~わ)

自然と子どもたち

「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」  
 (1986年 スウェーデン映画)

児童文学で有名なリンドグレーンが自らの原作を脚本化し、「ギルバート・ブレイク」のラッセ・ハルストレムが監督した作品。
シネフィル・イマジカの放送で見たのだが、北欧の自然の美しさと、大自然のなかで生きる子どもたちの、伸び伸びとした様子が、とてもさわやかな映画だった。

村には3家族しかいない。そこに住む6人の子どもたちは、兄弟、姉妹はもちろん、他の家の子どもたちとも仲が良い(ほかに2歳の女の子)。ほし草の上で寝たり、船をこいで島を探検したり、冬はソリにのって学校にいったり、いつも一緒。
遊ぶだけではなく、馬や羊に餌をやったり、幼い子どもの面倒を見て、家の手伝いもよくする。

いまどきの日本の子どもの生活とは、比べようがない暮らしぶりだ。
彼らを見ていると、自然のなかで生きる知恵、他人へのいたわり、楽しみを見つけるコツ、日々の暮らしを豊かにする方法を、身につけながら成長していることがわかる。

出演している子どもたちの演技が、ものすごく自然なので、ドキュメンタリーを見ているような気持ちになる。
極上の映像詩を見ているようだった。(シネフィル・イマジカ)
by mint-de | 2007-09-25 15:16 | シネマ(ま~わ) | Trackback

レモンパイの味 「ミリオンダラー・ベイビー」

「ミリオンダラー・ベイビー」  (2004年 アメリカ映画)

私は、ボクシングもクリント・イーストウッドにも興味がない。この映画を見に行ったのは、脚本がポール・ハギスだったから。
彼は、私の好きな「騎馬警官」(Due South)というTVシリーズの脚本をいくつか書いていて、彼の世界に触れるのが、一番の目的だった。

この映画の原作者は、F・X・トゥールという人で、50歳になってからボクシングをはじめ、トレーナーやカットマンを経験し、なんと70歳で作家としてデビューしたそうだ。
短編小説の『ミリオンダラー・ベイビー』には、映画にでてくるスクラップやデンジャーはでてこない。
この二人は、おなじ短編の『凍らせた水』にでてきて、ペットボトルのなかの氷をどうやって中に入れるんだという、可愛い疑問をもつデンジャーのエピソードや、彼に優しいスクラップの人柄など、ポール・ハギスらしいエピソードの取り込み方だと思った。

以下、この感想はネタバレな感想しか書けないので、続きは(More)へ。

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by mint-de | 2007-09-25 15:09 | シネマ(ま~わ) | Trackback

「遠い空の下、僕は世界がめざめる音を聞いた」

「モーターサイクル・ダイアリーズ」  (2004年 イギリス・アメリカ映画)


映画そのものは、若者が旅をしながら成長していくロードムービーとして、十分見ごたえがある。南米の大自然やゲバラとかかわる人々の描写も鋭く、完成度の高い映画だと思う。
でも、私としては、妙にやるせなさを感じてしまう映画なのだ。

チェ・ゲバラを知らない人でも楽しめるというのが、映画の紹介にあったが、
逆にゲバラがその旅の15年後に銃殺されたという事実を知りながら見ると、
彼のまっすぐな正義感がとても切ない。

1952年、ブエノスアイレスに住む医学生エルネスト(チェ・ゲバラ)は年上の友人アルベルトと一緒に、おんぼろバイクで南米縦断の旅に出る。
喘息の発作に苦しみながらも、若々しい好奇心で旅を続けるが、やがて南米の貧困と原住民への差別、隔離されたハンセン病患者を知るようになる。

ハンセン病の療養所と健常者の住む世界を隔てているのは、この川のせいだと、
目の前の川を泳いで対岸の療養所に辿り着くシーンは、社会の不公平を黙認できなかったゲバラを象徴した、この映画のクライマックスだ。

映画のラストに実際の古い旅の写真と、一緒に旅をしたアルベルトの年老いた姿がでてくる。当たり前だけれど、ゲバラはでてこない…。
平和を求めるのに、革命や流血もやむなしという考えには同調できないけれど、あの映画のゲバラは実に魅力的だ。
演じたガエル・ガルシア・ベルナルの男性的でそれでいて繊細な演技もすばらしかった。

製作したロバート・レッドフォードは革命家としてのゲバラではなく「なぜ、彼がチェ・ゲバラになったか」という部分に興味があったと語っているが、
あえて後の彼を描かなかったところが、私としては未完成な気もするが、映画としては収斂されたものになったのだろう。

映画のパンフレットにアルベルトがゲバラについて語っている言葉が載っていた。
「彼の思想が彼を殺したともいえるだろう。彼は信念に従って生き、そして死んだんだ」
by mint-de | 2007-09-25 14:46 | シネマ(ま~わ) | Trackback

見たり聞いたり、日々思うことをあれこれと…


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