碧草の風

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カテゴリ:シネマ(あ~そ)( 55 )

「いとしい人」

「いとしい人」 (2007年 アメリカ映画 監督ヘレン・ハント)

ヘレン・ハントが原作を読んで、映画化を希望していた作品だという。
ラブコメっぽい作りではあるけれど、親と子、実母と養母の関係を考えてしまう映画。
ただ盛り上がりに欠けていて、あまり面白い映画ではなかった。
でも、子どもを産むことと、育てるということについて、考えさせられる映画だった。

エイプリルは、39歳の小学校教師。結婚して、たった10か月で夫から離婚したいといわれる。子どもがほしかったエイプリルは落胆するが、教え子の父フランクと知り合い、フランクの子ども達とも仲良くなれる。そんなとき、前夫の子を妊娠していることがわかる。しかし、流産。
そして、エイプリルの養母が亡くなったあとで突然現れた実母。
実母は、今は、人気タレントだが、エイプリルを育てていたころは最悪の時期で、やむなく養子にだしたという。
実母は、子どもが産めないなら養子をもらえという。しかし、エイプリルは自分の子どもが産みたい。
養子として育ったエイプリルが、実の子どもを欲しがる気持ちは理解できる。
私などは、親が実の親なのは当たり前という感覚だけれど、こういう人たちには、実の親に対していろんな感情があると思う。でも、実の親に育てられたからといって、幸せな生活を送れるとも限らないし、昨今の子殺しや親殺しの事件を聞くたびに、家族って何だ?って思う。
自分とは違う別の「命」を育てることを、喜んで受け入れる、そんな人間になれれば、どんな子どもでも育てることができるのかもしれない。
ラストのエイプリルの決断と選択が、彼女を幸せにしてくれるといいと思う。
by mint-de | 2009-04-17 14:34 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「旭山動物園物語」ペンギンが空をとぶ

北海道に帰っても、旭山動物園にはなかなか行けないので、映画を見てきた(^^)
旭山動物園がなぜそんなに人気があるのかよくわからなかったけれど、動物を、「行動展示」というかたちで見せたことが、客の増員につながったようだ。動物の生態をただ見学させるのではなく、その動物固有の行動を引き出し、動物のことをもっとよく知ってもらうということらしい。
確かにペンギンの散歩は、見ているだけでも楽しいし、上を見上げたら、まるでペンギンが空をとんでいるように見えるガラス張りの水槽も面白い。

客足が伸びず、廃園寸前にまで追い込まれた動物園を続けるために、奮闘する園長と飼育員たち。
園長は、新しい市長に興味をもってもらうために、全国の水族館を回り、新しい動物園の構想を練る。
市長が園長の提案にOKをだして、今の旭山動物園になっていくわけだけれど、上に立つ人間の先を見通す能力や判断力というのも、重要だなあと思った。
そして、園長と飼育員たちの決して諦めない粘り強さと行動力、動物への愛情は、感動的だ。
園長役の西田敏行さんはじめ、飼育員役の方々が、ちょっと動物似だと思ったのは私だけ?(笑)

映画には、動物園の存在に反対の人間もでてくる。野生の動物は、野に戻すべきだと。
私も、これに近い考え方ではあるけれど、アフリカに行かなければ見られないライオンやトラを、近くで見られるのは動物園のおかげではある。間近で動物を観察したり、地球上に生きる動物を知ることは、大切なことだ。地球は、人間だけのものではないのだから。

新人の飼育員吉田がいったように、どんなに親しくなっても、人間と動物には、越えてはならないというか、越えられない領域があると思う。人間と動物は、違うのである。そのこともちゃんと認識しておきたい。

ラストで園長が吉田にいった言葉は、とてもいい。
弱肉強食の世界で、生きていくのが動物である。でも、人間は弱いものをいたわれる、すばらしい生き物である。
by mint-de | 2009-02-12 15:06 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「歩いても歩いても」(DVD)

「歩いても歩いても」  (2008年 監督是枝裕和)

長男の命日。
両親の家にやってきた、長女と次男の家族。
もう仕事をしていない医者だった父と、家族のために料理に精を出す母。
長女は、両親と一緒に住みたがっているが、両親には、その気はあまりない。
次男は失業中だが、そのことは両親には内緒だ。彼は、夫と死に別れた女性と
その子どもと暮らしている。
両親の家での一日が、淡々と描かれる。何気ない会話、食事、散歩、お風呂。
日常をこんな風に切り取られると、とても妙な気分になる。
母親がしゃべっていても誰も聞いていなかったり、父親の言葉に息子が反論したり、
間違って覚えていた家族の思い出とか、どこの家にでもありそうな日常が綴られる。
何だかんだいっても、家族という絆で結ばれている家族。

家々の向こうに広がる海の風景、坂道、石段。
歩いても、歩いても、同じように続く人生。
いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」の歌詞のように、「歩いても 歩いても 
小船のように揺れて」いるような日々。
それでも、平凡な日々が、家族が、生きていることが、とても大切に思えてくる。
しみじみとした余韻が残る映画だった。
by mint-de | 2009-02-08 16:24 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「きつねと私の12か月」

「きつねと私の12か月」 (2007年 フランス映画 監督リュック・ジャケ)

森の風景が、とっても美しい。
四季折々の風景、降り注ぐ光、雄大な眺め。
映像を見ているだけでも、癒やされる。

少女リラときつねのテトゥの物語。
リラは、黄金色に色づく秋、森できつねに出会う。
そのきつねが忘れられないリラは、幾度も森に足を運ぶ。
やがて、そのきつねに触れられる日がやってくる。
きつねにタトゥと名付け、親しくなれたことを喜ぶリラ。

でも、リラは、理解する。
野生の動物は、人間とは違うということに。
「好き」なことと、「所有」することとは、別だということに。

自然界に生きる動物たちの、食うか食われるかの戦いも描かれる。
過酷な動物たちの生を思うと、人間でよかったと思う。
オオヤマネコ、初めて見た気がする(遅すぎ?^^;)
ネコを大きくしたその姿は、怖いような怖くないような…
ネコを見慣れている目には、ちょっと不思議な動物に見えた。

きつねという動物をあまりよく知らなかったけれど、顔がコーギーに似ていると思った。
おびえた表情や犬と似ている仕草もあって、とても可愛い。
テトゥも演技をしているわけだけれど、よく、こういう映像が撮れたなあと、
感心することしきり。

少女にしては、冒険のし過ぎという気はするけれど、監督自身の実体験が
もとになっているとか。
こんな少年時代を過ごすことができたなんて、羨ましい限りである。
by mint-de | 2009-01-21 15:59 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「永遠のこどもたち」

「永遠のこどもたち」 (2007年 スペイン・メキシコ映画 監督J・A・バヨナ)

ホラー映画は苦手で、ほとんど見たことがない。
でも、ホラーが嫌いな人でも、女性なら見て欲しいという映画評の言葉に誘われて、見てきた。
不気味な効果音や、やたら大きな音をたてて開閉する扉とか、瀕死の人間がガバッと起きてものすごい形相になったり、ホラーって、どうしてこう悪趣味なんだろう、なんて思いながら、かなり怖い思いをしてしまった(^^;)。
この映画は、普通のミステリードラマとしても、充分に見応えがあると思うので、こんなホラー仕立てにしなくてもよかったのに…。
でも、霊とか不可思議な現象を描き、内面の隠れた思いを表現するためには、こういう味付けもありなのかな。

孤児院で育ったラウラは、30年後に、夫と息子シモンと、その海辺の建物にやってくる。
建物を改装し、障害児のための施設を開くことにしたのだ。
ラウラは、空想の友達と話すシモンを少し心配しながらも、施設の準備に忙しい。
そして、いよいよ開園のパーティーの日がやってきた。
シモンは、母親の愛情が施設にやってくる子どもたちに注がれるのを不安に思ったのか、
ラウラのいうことを聞かずに遊んでとせがむ。思わずぶってしまうラウラ。
その後、シモンは行方不明になる…。

シモンは、ラウラがゲームを始めてくれると信じていたのだ。
シモンのことをわかっていたはずのラウラだったが、サインを見落としてしまった。
大人になりたくなかったシモン。それは病気のせいかもしれないけれど、
大人になれなかった子ども達への同情心だったのかも。

ラウラの子を捜しだそうとする執念は、すさまじい。そして、後悔。
愛していても、感情の行き違いで、幸せになったり不幸になったりする。
ラウラのラストの決断は、しょうがないのかもしれない。
彼女もシモンも、それで救われたということなのだろう。
でも、夫が可哀想すぎ。あんなに理解のある夫なのに。

怖くて、とっても切ない映画なのだった。
by mint-de | 2008-12-21 16:34 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「おなじ月の下で」 (2007年 メキシコ・アメリカ映画)

2週間ほど前になるけれど、「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」で、メキシコ人の女性監督パトリシア・リヘンの「おなじ月の下で」という映画を見てきた。

息子を育てるためにメキシコからアメリカに渡り、不法労働者として働く母親と、その母親に会うために、一人国境を越える息子の話。
9歳のカルトーリスは、この4年間、祖母と暮らしている。アメリカにいった母親と、週に1回公衆電話で話すのが唯一の楽しみ。4年間も会っていないので母への思いは募るばかり。そんなカルトーリスは、祖母が亡くなった日に、アメリカの母親に会いにいく決意をする。
その後は、少年の愛と冒険のロードムービーとなる。

とにかく、会う人みんなが優しい。アメリカの移民局の人間が聞いたら怒りそうな、不法労働者への応援歌も流れてくる。不法移民とか不法労働者を扱ってはいるけれど、あくまでも前向きに捉えて、それでもたくましく生きていってほしいという願いがこめられたような作品だ。あまりにもうまくいきすぎて、物足りない面もあるけれど、その陽気なパワーはよかったと思う。

母親が、アメリカで合法的に暮らすために結婚を選ぼうとして、自分のすべきことに気づいたところもよかった。お金のためにアメリカに来たけれど、たとえ貧しくても子どもと一緒に暮らすほうがベストな生き方だと気づいたんだよね。「アグリー・ベティ」のアメリカ・フェレーラもちょっとだけ出ている。シリアスな演技に味があった。

この映画を見て、つくづく思ったのは、母と子の絆の強さ。あの求め合う力の強さは、いったい何なのだろう。「ゴーン・ベイビー・ゴーン」を見てから、この映画が気になったのは、母と子の描かれ方がまるで反対だったからかもしれない。
by mint-de | 2008-09-26 16:21 | シネマ(あ~そ) | Trackback

ゴーン・ベイビー・ゴーン(DVD)

あのベン・アフレックが監督した劇場未公開作品(2007年 アメリカ映画)。
少女の誘拐事件を描いているのだけれど、ラストの展開に考え込んでしまう。
子どもの居場所としてふさわしいのはどこなのか?
親を選べない子ども。親と子は一緒に生活しなければならないのか?

原作は、デニス・レヘインの私立探偵パトリック&アンジー・シリーズの一作『愛しき者はすべて去りゆく』。私は原作を読んでいないので、結末に驚いた。
原作を知らないほうが、映画を楽しめるのではないだろうか。
もっともこういう作品に、「面白い」という表現は適切ではないけれど。

ボストンのある町に住む私立探偵パトリックのもとへ、行方不明の姪を捜してほしいとある夫婦がやってくる。テレビで報道されていた、失踪した4歳の少女アマンダの事件だった。警察の捜査が進展しないので、裏の世界に通じているパトリックに助けを求めたのだ。
パトリックが調べていくと、アマンダの母親ヘリーンはヤク中で、運び屋までしていたことがわかる。ヘリーンは、アマンダをちゃんと育てていたとはとてもいえない女だった。
はじめは、ヘリーンが盗んだお金が原因で、アマンダが誘拐されたと思われたのだが、意外な結末が待っていた…。

私は、パトリックがとった行動は正しいことだと思う。巻き添えになった人のことを考えると、罪を犯した者は、罰を受けなければならない。
でも、アマンダにとって母親と一緒に暮らすことが本当に幸せかどうかは、わからない。
それは、将来のアマンダが考えることなのだろう。

自分の子どもを虐待したり殺してしまう親。逆に子どもに殺される親。
どうしてそんなことが起きてしまうのか、理解に苦しむけれど、昨今のニュースを見ていると、この映画の「問い」に答えることは、とても難しい…。
by mint-de | 2008-09-22 15:10 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「イントゥ・ザ・ワイルド」

「イントゥ・ザ・ワイルド」 (2007年 アメリカ映画 監督ショーン・ペン)

実話をもとにした映画。
クリスは、大学を卒業してから放浪の旅に出る。
車を捨て、お金を燃やし、それまでの人生を否定するかのように名前まで捨てる。
自分の足で歩き、自分の頭で考えた「価値あるもの」に向かって、旅を続ける。
そして、2年後、アラスカの荒野で、クリスの旅は終わる。
クリスは何を求めていたのだろう?
私には、彼の求めていたものが、いまひとつわからない。
心を強くもち、自分の力だけで生きていくことが大切だと、クリスはいう。
自然のなかで人間らしく生きたいと思ったのなら、もっと体験を重ね豊富な知識を身につけてから、アラスカに住めばよかったのに…。
映画「狩人と犬 最後の旅」で、厳しい自然の中で生きている猟師の暮らしぶりを見た私には、クリスの行動はあまりにも無茶だったような気がする。川の水の量が変化することを知らなかったなんて、とても残念だ。

アラスカの風景は、期待していたほどではなかったが(星野道夫さん関連のテレビ番組で見た風景のほうが迫力があった)、アメリカを旅しているときの風景は、雄大で美しい映像だった。旅の途中で会った人たちは、みんな優しい。心に傷を持ちながらも、クリスには温かく接してくれる。それは、クリスの人柄のよさからきていたのかもしれない。会った人たちのように両親との関係がうまくいっていれば、何もかも捨てて旅に出るということは、なかったのかもしれない。養子にしたいとまでいってくれた老人との会話は、まるで人生訓のようだった。でも、クリスがどこにいるか知らないで心配している両親のことを思うと、クリスの言葉は、何だか虚しく聞こえるのだった。

死を覚悟した、クリスの目に映るアラスカの高い空。
そこが死に場所ではなかったはずだが、クリスにはふさわしい場所だったのかもしれない。
ラストで、クリス本人の、アラスカで暮らした不思議なバスをバックにした写真が出る。
にこやかな笑みを浮かべている写真だ。
4か月間、孤独に暮らしたはずのクリスだが、自由と幸せという思いを、つかの間つかんだのかもしれないと思わせる笑顔だった。
by mint-de | 2008-09-11 14:04 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「この道は母へとつづく」(DVD)

「この道は母へとつづく」 (2005年 ロシア映画 監督アンドレイ・クラフチュ-ク)

孤児が親を求めて孤児院を脱走したという新聞記事から、着想を得たという映画。
実在する孤児院を舞台にして、そこで暮らす孤児達も出演しているという。
監督の、孤児に対する温かな眼差しが感じられる話だ。

ある日、孤児院の前に1台の車が止まる。降りてきたのは、養子の斡旋業者であるマダム。子ども達は、今度こそ自分の番がきたのかもしれないと期待する。
院長に呼ばれたのは、6歳の少年ワーニャ。ワーニャは、2か月後にイタリア人の夫婦に貰われることになる。周りの子どもや、そこで育った年上の若者達に羨ましがれらるワーニャだったが、親しかったムーヒンの母親が、孤児院を訪れたときから、微妙に心が揺れはじめる。

ムーヒンは、すでに孤児院を出て養子になっていた。院長は斡旋業者から手数料をもらっているので、ムーヒンの母を罵り追い返してしまう。涙ながらに、ムーヒンのことを話してほしいという母親を見て、ワーニャは、もし、自分の母親が自分が出て行ってから迎えにきたら、会うことができないということに気づく。親に虐待されたり、捨てられた子ども達は、実の親がいいとは限らないという。でも、もし悪い養親だったら、臓器売買の対象になるかもしれない。それも恐ろしい話だった。

周囲の言葉をよそに、母親への憧憬がふくらむワーニャは、一大決心をする…。
ワーニャが孤児院を脱走してからは、ハラハラドキドキの冒険物語になり、前半の展開と違う面白さがあった。

親が育てられなくなった子どもたちの多さに驚き、お金が目的で、子どもの気持ちを無視した院長や斡旋業者に呆れながら、人間を売り買いする商売というものが成り立つ社会に、暗澹とした気持ちになる。

でも、映画は、きわめて前向きだ。
6歳の少年は逆境にもめげずに、思いをとげたのだ。
こういう状態だから、こうしか生きられないというのではなく、それでも、こうしたいという気持ちが大切なのだ。
ラストシーンもよかった。
by mint-de | 2008-09-04 11:22 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「帰らない日々」

「帰らない日々」 (2007年 アメリカ映画 監督テリー・ジョージ)

愛する者の命を突然奪われたとき、人はその事実にどう対応できるだろう。一方、不注意で人を死なせてしまったとき、人はどのように行動してしまうのだろう。
被害者側のやりきれない思いと、加害者の苦悩。
穏やかな日々が、事故で一変してしまう生活を、被害者側と加害者の立場から描いている。両者の心理状態を、丁寧にかつうまくまとめていると思う。

大学教授のイーサンは、妻のグレースと息子、娘の4人暮らし。
ある夜、イーサンの目の前で、息子がひき逃げされて死んでしまう。
悲しみに沈むイーサンは、法の不備や警察の捜査に不満をもち、独自に弁護士に調査を依頼する。しかし、その担当の弁護士ドワイトその人がひき逃げ犯だったのだ。

ドワイトは、別れた妻との子、サムと一緒に野球観戦から帰る道で事故を起こしてしまった。息子の目の前で、犯罪者になりたくなかった父ドワイト。

イーサンの、犯人への怒りは増すばかり。グレースは、そんなイーサンを心配する。
自分の一言が息子の死につながったと自分を責めていたグレースだったけれど、
彼女は、息子の死から立ち直ろうとしていた。

ドワイトは、息子が心の支えだった。たまにしか会えない息子への愛に気づくたび、彼は、自分の罪の深さにおののいている。自首しようと思うものの、なかなかできないでいる。

怒りが頂点に達したイーサンの行動は、悲しみを受け入れるための心の準備だったのかもしれない。ドワイトに復讐しても息子は帰ってはこない。
そして、ドワイトが、もうすべてを失っていることを知る。
復讐心に燃えてすべてを失う寸前に、イーサンは気づいたのだ。
今の家庭を愛し守っていかなければならないことに。私は、このシーンにほっとした。

ラスト、ドワイトが自首したかどうかまでは、描かれていない。
でも、サムに残した告白ビデオが、ドワイトにとっては一番の贖罪だという気がする。
ドワイトにとっては、被害者側への謝罪より、息子に自分の過ちを告げることのほうがつらいことだったろうから。
by mint-de | 2008-08-03 11:23 | シネマ(あ~そ) | Trackback