碧草の風

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カテゴリ:シネマ(あ~そ)( 54 )

産めばいいのか? 「JUNO/ジュノ」

「JUNO/ジュノ」 (2007年 アメリカ映画 監督ジェイソン・ライトマン)

エレン・ペイジは上手い女優だ。映画としては面白い。こういう考え方もある、こういう生き方でもいいじゃないかとは思う。でもね、内容には不満が残る。
脚本が賞をもらっているけれど、思いがけず妊娠してしまったジュノが、あっさりと子どもを養子に出すことを考えてしまうことと、子どもを産む行為と育てるということが分離されてしまっていることに、違和感を覚えてしまうのだ。そして、ジュノと両親の割り切りのよさに、逆に割り切れない思いがする。
確かに、養子制度というものはある。でも、それは、子どものいない夫婦や親を亡くした子どもにとっては、一つの選択肢ではあるけれど、たとえ、望まない妊娠であっても、子を授かった以上、育てるということを第一に考えて欲しかった。
妊娠を隠し通して、こっそり子を産むわけではなく、実に堂々と妊婦姿で学校に通う勇気があるのなら、親と一緒に子育てをしたっていいんじゃないの。これじゃあ、それこそ「子を産む機械」じゃないのかと思ってしまう。
鳥や猫などの動物たちだって、わが子を育てようと懸命になるのに、ジュノの産みっぱなしの晴れやかさは、一体何なのだろう?
広~い視点に立って、子は人類の宝と思えば、誰が産んで、誰が育ててもいい? 
日本の少子化対策に頭を悩ませているお役人には、いい映画かもしれない(笑)。
by mint-de | 2008-07-04 21:15 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「さよなら。いつかわかること」

「さよなら。いつかわかること」 (2007年 アメリカ映画 監督ジェームズ・C・ストラウス)

スタンレーは、シカゴのホームセンターに勤めていて、12歳の娘ハイディと8歳の娘ドーンと暮らしている。軍曹の妻グレイスはイラクに赴任中だ。
ある日、スタンレーの家に軍の関係者がやってくる。スタンレーは、玄関前に立つ二人の軍人を見て、妻の死を悟る。その事実は、覚悟していたことではあるが、決して認めたくないことだった。妻の死を受け入れられないスタンレーにとって、娘たちに母親の死を伝えることは、もっと難しいことだった。スタンレーは衝動的に、娘たちをドライブに誘う。幼いドーンがいきたがった遊園地をめざして、父と娘2人の旅が始まる。

急に優しくなった父親の態度に、敏感に何かを感じるハイディ。思春期の娘の態度に、母親の分までがんばろうとするスタンレー。二人の気遣う気持ちが切ない。そんな沈みがちな二人とは対照的な、天真爛漫なドーン。こんなに小さな子が、母親の死と向き合うことになると思うと、それもまた切ない。スタンレーの場合は、自分が視力に問題があって除隊しなければならなかったという事情もあり、妻を戦地に行かせてしまったという思いもある。自分がイラクに行っていれば、妻は死ななかったかもしれない。打ちのめされるスタンレー。

遊園地で十分遊んだ娘たちは、もう帰ろうという。覚悟をきめて、娘たちに母親の死を伝えるスタンレー。夢のような時間を楽しんだあとに、悲しい事実を知らされる娘たち。夢と現実。生と死。

淡々と流れる映像が、かえって悲しみを深くさせる。それでいて、暗くはなく、根底に、それでも生きていくのだという強さが込められているような作品だった。脚本と、主演のジョン・キューザック、娘役の2人も、とてもよかった。
by mint-de | 2008-05-25 13:47 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「今夜、列車は走る」

「今夜、列車は走る」  (2004年 アルゼンチン映画 監督ニコラス・トゥオッツオ)

重たいテーマながら、さわやかな感動を覚える作品だ。内容から堅苦しい映画を想像していたけれど、随所にユーモアもあり、現実の問題をうまくまとめている。新人監督の力量を感じさせる映画だ。

すべて運命だとあきらめてしまったら、お終りだ。たとえ絶望的な状況に置かれても、変えようと努力し続けることが大切。職を失った大人たちが希望をもつことを願って、子どもたちが列車を走らせるシーンに胸が熱くなる。

赤字路線の廃止で、突然、鉄道員の職を奪われた人々。
仕事を失った5人の鉄道員と、自殺した鉄道員の息子のその後が描かれる。
「自主退職」のサインを拒み、修理工場に住み続ける老鉄道員。
すぐに仕事が見つかった者もいれば、なかなか見つけられない者もいる。

彼らは、怒りと挫折感に苦しみながら、あることに気づくのだ。
「このままではダメだ」「なぜ、自主退職に簡単にサインしてしまったのか」
「何か方法はなかったのか」
父を失った息子は自問する。「運命は変えられないのか」

息子は、希望に向かって、列車を走らせる。運命を変えようという意志をもって。
by mint-de | 2008-04-17 14:22 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「君のためなら千回でも」

「君のためなら千回でも」 (20007年 アメリカ映画 監督マーク・フォースター)

映画の公式サイトに、原作者カーレド・ホッセイニさんがUNHCRの親善大使として活動している記事の紹介があった。私は、この原作は、亡命した立場だから書けた小説だと思っているけれど、今、こうして難民問題に取り組む彼の姿勢は立派だと思う。亡命したあとの両親について、尊厳が問題だと言っていたけれど、それなりの立場にあった人間が他国でゼロから再出発するのは大変なことだと思う。祖国で生きられるということは、幸せなことだと、つくづく思う。

まだ平和だったころのアフガニスタン・カブールで、仲良く育った裕福な家の息子アミールと、召使いの子ハッサン。
アミールがついた嘘は、父親の愛情を独り占めにしたかったから。そして、自分の勇気のなさを、ハッサンが知っていることへの仕返しだった。嘘に傷ついたハッサンと父は屋敷を去る。けれど、ハッサンはずっとアミールを慕っていたのだ。ハッサンのアミールへの想いは、著者の祖国への想いと重なっているようにも感じられる。

20年後、アメリカに亡命していたアミールは自らの罪を償うために、再びアフガニスタンの土を踏む。自分の国なのに、旅行者の気分だというアミールの目に映るのは、荒廃した街とタリバンの姿だ。緑のない、剥き出しの大地は、今のアフガニスタンを象徴しているようだった。
孤児院からハッサンの子を救い出そうとしたアミールに、院長が放つ言葉は悲痛な叫びだ。
一体、誰が、こんな国にした? 

アミールの父は、「嘘はつくな」といった。だが、父は大嘘つきだった。父もまた、罪の意識に苛まれていたのだ。息子だけは嘘のない人生を歩んでほしいと願っていたけれど、その結果は皮肉だった。

原作を読んでから映画を見ると、どうしても、原作のほうに魅力を感じてしまうけれど、この映画は、原作に忠実だと思った。ただ、もう少しアメリカでの窮屈な生活を描いてほしかったのと、アミールがアフガンに戻る決意をするまでの逡巡に、物足りなさを感じてしまった。でも、あれだけの長編を2時間の物語にするのだから、そのへんはしょうがないのかも。
by mint-de | 2008-02-11 16:25 | シネマ(あ~そ) | Trackback

奇跡の惑星 「アース」

「アース」 (2007年 ドイツ・イギリス映画)

制作に5年を費やしたネイチャー・ドキュメンタリー。
宇宙の偶然がもたらした23.5度の傾き。その傾きと、太陽の恵み、豊富な水が、地球に命をもたらした。奇跡の惑星、地球。

映像には、私が見たことのない世界が広がる。過酷な自然のなかで生きる動物たち、雄大な自然。人間以外の地球上の生物。地球は人間だけのものではない。そんな思いにとらわれる。

人間が利便性を追い求めた結果、地球上の生物は、いま危機にさらされている。このままでは、2030年には野生のシロクマが絶滅するという。世界が環境問題に気を配りはじめたけれど、はたして間に合うのだろうか?

46億年も存在する地球。その気が遠くなる年数と、今の環境破壊がもたらすものに、私は違和感をおぼえてしまう。人間の歴史なんて、ミクロの単位ではないか。いったいわれわれに何ができるのだろう?
by mint-de | 2008-01-27 14:06 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「再会の街で」

「再会の街で」 (2007年 アメリカ映画)

悲しみや絶望感の癒やし方は、人それぞれだ。一人で乗り切れる人もいれば、多くの人間が助けなければならない人もいる。肝心なことは、その人間にあった接し方をしなければ、傷ついた人間は、もっと深く傷ついてしまうということだ。

ニューヨークのマンハッタン、歯科医のアランは、道で大学時代のクラスメート、チャーリーと偶然、再会する。チャーリーは、9・11のテロで妻子を亡くし、心に傷を負ったまま、自分の中に閉じこもる生活をしていた。アランを見ても、よく覚えていないし、仕事もやめ、ただひたすらキッチンをリフォームし、ゲームに夢中になる日々。そんなチャーリーを目にして、放っておけなくなったアランは、チャーリーの再生に力を貸そうとする。

いろんな人の助けを拒否するチャーリーの姿は痛々しい。どうして妻の両親まで拒否するのか、不思議に思っていたが、ラストで明らかになる。妻と最後にした会話は、キッチンのリフォームについてだった。急いでいたチャーリーは、ろくに話も聞かず電話を切ってしまった。そのことが、チャーリーを責め続けていたのだ。

何かについて話し合う、分かち合う、そのことがどんなにすばらしいことだったかを、妻が亡くなってから気づいたチャーリー。義父母は、娘や孫を亡くした悲しみを分かち合える。でも、自分はそれができない。人を拒みながら、チャーリーは、やはり人を求めていたのだ。アランは、チャーリーのよき理解者になれた。そして、またアランも、チャーリーとの再会が妻との関係を見直す機会にもなったのだ。

この映画には、もう一人精神的に傷ついている女性がでてくる。夫に裏切られたことで、アランに積極的に近づいてくるドナだ。ドナとチャーリーの傷の癒やし方は対照的だ。人は一人では生きていけない、そのことに気づかされる映画だった。
by mint-de | 2008-01-17 11:44 | シネマ(あ~そ) | Trackback

女王の立場 「クィーン」

「クィーン」 (2006年 イギリス・フランス・イタリア映画)

私は、ダイアナ妃やイギリス王室にはそれほど興味はないけれど、この映画は、それぞれの立場の違いや思惑が上手くまとめられていて、面白いと思った。とにかくエリザベス女王役のヘレン・ミレンの演技が素晴らしい。威厳に満ちながら柔らかく、核心を突きながら謙虚でもある。

女王は事故死した元の嫁への対応に苦慮するなかで、イギリス王室の伝統と格式を守らなければならない自分の立場を、決して声高には語らず、最後には、ブレア首相の意見に従うのだ。本当の女王がどういう人間かは知る由もないが、こういう立場にある人の心情というのが理解できる、そういう説得力のある映画だった。

ダイアナ妃の死を悼む声の多さに驚きながら、「会ったこともない人間に弔意が示せるのか」という女王の言葉には、王室を出て行ったダイアナ妃への思いと、ダイアナ妃のことをマスコミの情報でしか知ることのなかった人々のヒステリックな反応に対しての憤慨も感じられる。マスコミに作られてしまったものも一杯あるのだと思う。

女王が一人で車を運転して、川のなかで動けなくなったとき、鹿が現れたシーンは印象的だった。鹿撃ちのハンターに襲われないように、鹿に向かって早く逃げなさいという。そして、鹿がいなくなって安堵する。でも、その鹿は後日、撃たれてしまう。女王は死んだ鹿を見にいって、射止めたハンターを賞賛する言葉を口にする。私には不可解な行動だけれど、逃げられなかったのだからしょうがないと諦めた気持ちが、ダイアナへの思いと結びついているのかもしれないと思った。

それにしても、元の嫁が亡くなったあとで、狩猟に精をだすフィリップ殿下の気持ちというのは、理解できなかった。ブレア首相の奥さんの王室への皮肉や首相とのやりとりは、コメディのようでおかしかった。こういう映画を作ってしまう、イギリスの自由さが羨ましい。
by mint-de | 2007-12-28 13:59 | シネマ(あ~そ) | Trackback

歩け、歩け… 「サン・ジャックへの道」

「サン・ジャックへの道」 (2005年 フランス映画)

母親の遺産を相続するために、1500キロもの巡礼路を歩くはめになる仲の悪い兄弟3人。
一緒に巡礼の旅をするのは、兄弟のほかにガイド、高校生、わけありの女性など6人。
仲の悪い兄弟は、周囲が迷惑しているのに、喧嘩ばかり。でも、2か月も一緒に旅をするうち9人は、次第に絆を深めていく。
キリスト教の聖地への巡礼を描いているけれど、カトリックの差別意識や偏狭さを痛烈に批判している。
騙されてイスラム教のメッカに行くと信じている少年が、巡礼路のシンボル的なモニュメントに上って、アラーの神をたたえるシーンに大笑い。そして、この少年の純粋さもこの映画の魅力。

リュックが重くなって、必要な物以外を捨てていくシーンでは、生きていくには、本当に必要なものだけで十分なのだろう、って思えてくる。
旅を続けるには、疲れても自分の足で歩き続けなければならない。歩け、歩け。気力と体力がすべてだ。それが生きること。

時々挿入される夢のシーンはわかりづらかったけれど、巡礼路の風景に癒やされる。
日本でも四国のお遍路さんが有名だが、電車や車を使わず、ただひたすら歩く行為には、人間としての原点に戻るような新鮮さが感じられる。
でも、2か月間も歩き続ける旅は、私にはとても無理である(^^;)。
by mint-de | 2007-09-27 16:02 | シネマ(あ~そ) | Trackback

自然と人間と動物 「狩人と犬 最後の旅」

「狩人と犬 最後の旅」  (2004年 フランス・カナダ・ドイツ・スイス・イタリア映画)

実在する罠猟師ノーマン・ウィンター本人が出演して、ロッキー山脈の大自然の中で狩人として生きる姿を描いた映画。とにかく大自然の映像がすばらしい。地球にもこんな世界がまだ残っているのだと嬉しく思う半面、こういう自然も森林の伐採などによって年々破壊され、動物の生態系にも悪影響をおよぼしていると聞くと、やりきれない思いがする。

ノーマンは、狩をすることで、生態系を調節しているという。弱肉強食の世界をそのままにしておくと、強いものだけが生き残ってしまう。バランスが大切だということだ。人間という動物も好き勝手をしていると、そのうち大きなしっぺ返しをくらうのではないかという気もしてくる。

厳しい自然の中で生き抜く動物たちの姿にも感動する。私が一番驚いたのは、出合ってもそのまま行ってしまったクマ。じっと動かなければ、クマは襲わないのだろうか? そして、へぇ~と思ったのが、オオカミは人間を襲わない、だから、犬のそばに人間が必ずいるようにすると、犬は襲われないですむという話。

動物の減少で猟師を引退しようかと考えているノーマンのもとに、新しく1匹のハスキー犬アパッシュがやってくる。ノーマンと、ソリを上手にひけるようになるアパッシュの交流を通して、過酷な大自然の中でも、生きていくことができると教えられる。およそ文明の利器とは無縁な生活、そこに生き続けることの困難さにもめげず、そういう生活をあえてするノーマンのような人たちには、私たちは、逆に妙な人間に見えるかもしれない。

ソリを懸命にひく犬たち。ノーマンと犬ゾリが走る光景は、とても美しくて、なぜか涙がでてくる。
人間も動物も共存しつつ地球上に生きている。そんな素朴な思いを共有している気がした。
by mint-de | 2007-09-27 15:56 | シネマ(あ~そ) | Trackback

「インファナル・アフェア」の世界

「インファナル・アフェア」  (2002年香港映画)
「インファナル・アフェアⅡ 無間序曲」 「インファナル・アフェアⅢ 終曲無間」
                 (2003年 香港映画)

今頃ですが、この3部作を見ました。感動しました!
毎日新聞の映画評で「ディパーテッド」は、オリジナルを越えられないと書かれていたのと、リンクしていただいている方のブログの記事や、メールで3作すべて面白いと教えていただき、俄然見る気になって、一気見。これほど画面に釘付けになった映画は久し振り。

終始、スリリングな展開で、ラストに余韻をひきずる切なさ…。
暴力シーンがありながら、詩情にあふれた映像。
どうしようもないワルや非道な人間たちが描かれているのに、何故か登場人物一人ひとりに感情移入して見てしまう。

マフィアの息子に生まれながら、善人になりたいと警官を志望したヤン。
マフィアのボスの命令で警官になったラウ。
10年近くマフィアの潜入捜査官を続けるヤンは、警官の仕事に戻れない自分の立場に嫌気がさしてくるが、最後は警官としての職務をまっとうする。
ラウは警察の情報をボスに流し続けるが、昇進するに従い、マフィアの手下である自分を捨てたくなり、自分の地位を守ることに執着し始める。

2作目は、ヤンとラウの過去、3作目は、1作目の前後の話。順番からいうと、2→1→3だけれど、私は、この1→2→3だからこそ、2の話が生きてくると思っている。3は1・2に比べると緊迫感はなくなってしまうが、ヤンの幸せな時を見ることができて、満足。

1では、ヤンに対するやりきれなさでモヤモヤし、ラウを許せないと憤慨するけれど、3のラストのラウには、哀れみを感じてしまう。生き続けることで、苦しみから逃れることができないという話らしいが、本当はまっとうな警官として、善人でいたかったラウの本音も透けて見えてくる。

本当になりたい自分になれる人間もいれば、少しずつレールがずれて、違った方向にいってしまう人間もいる。もともと人間って、そんなに違いはないのかもしれない。
「ディパーテッド」も見にいくつもり。その時は、この「インファナル・アフェア」は忘れて、「ディパーテッド」の世界を楽しみたい。(2007年1月記)
by mint-de | 2007-09-25 15:36 | シネマ(あ~そ) | Trackback