碧草の風

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カテゴリ:詩と言葉から( 37 )

堀文子の言葉から②

描くものに対しては、感動とか興奮といった生易しいものではなく、逆上に近いような感情を持っていないと、人の魂など打たないのです。ただ、いいですね、とか、きれいですね、と言っているくらいでは絵は描けません。
今の人たちは、逆上することが恥ずかしいのではないでしょうか。文明というものは、物を知っていることだと思うから、
「そんなこと知っていますよ」
という顔をして、知識だけで物を見ている。だから、何かに逆上するということがないのかもしれません。
人間がマンモスと闘いながら洞窟で生きていた時は、毎日が命がけで、人生はもっと鮮烈な輝きを放っていたのではないでしょうか。
自然界の生き物は、いまだにそうだと思います。例えばあんな小さな蚊でも、こちらが殺してやろうと思った時には、身を隠してしまって、簡単にはつかまりません。あれは命がけで生きているからでしょう。
「こいつはそろそろ殺虫剤を持ってくるぞ」
などと、頭で考えているわけではないのでしょうけれども、こちらの殺気というのを感じとるのだと思います。いったいそれをどこで察知するのかはわかりません。けれども、大雪が降っても、ちゃんと時期が来れば牡丹の花が咲くように、自然界のものたちは生きるということにもっと懸命で真摯であるような気がします。人間だけが知識を得て、便利さを求めて、本来の生物としての能力をどんどんそがれているように思えます。
わたくしは山の獣、草木、花々が、日々生と死を分けながら生きているさまを観察してきて、その原始の感性とでもいうものに少しでも近づきたいと思っています。そうした本来の生物としての能力を発揮しているときこそ、命は輝くのではないかと考えております。
物を知らないときがいいのです。物知りになるということは、ろくなものではないと思います。


  (堀文子 『私流に現在を生きる』から 中央公論新社 )
by mint-de | 2016-01-22 14:39 | 詩と言葉から

旅 感動するココロ

 日常には含まれていない旅先で、私は自分がうつくしいと思うもの、その正体を自分でも知らない。自分が何を見て泣きたくなるのか、わからない。壮大な光景でも、世界文化遺産でも、人の笑顔でもない。もちろん、それらのときもあるけれど、そうしたものでないときもある。
 だんだんわかってきたことは、私の思ううつくしいの反対が、汚いでも醜いでもないこと、それから、そのうつくしいものにのみ、自分の心が動かされるということである。私はまだまだ見たい。自分がうつくしいと思うものの正体を知りたい。それは、一ヵ月の旅でも、一泊の旅でも、触れられるものなのだと最近になって知った。


(角田光代『降り積もる光の粒』あとがきから・文藝春秋)


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by mint-de | 2015-03-05 21:03 | 詩と言葉から

「純と愛」のセリフから


「自分がいつも正しいと思っている人間は、成長をやめたと言っているのと同じです」


(遊川和彦脚本 NHKドラマ「純と愛」から)


今日の朝日新聞朝刊「TVフェイス」では、NHKの朝ドラ「純と愛」に出演中の吉田羊さん(純の指導係桐野)を紹介していた。
その記事中に載っていた桐野のセリフ。
自戒する意味で、ときどき思い出したい言葉だ。
by mint-de | 2012-10-27 15:55 | 詩と言葉から

堀文子の言葉から①

日本画家の堀文子さん。絵そのものはあまり拝見したことはないのだけれど、とても美しい色を使われているという印象がある。
そしてご高齢ながらとてもお元気で、語られる言葉に精神的な強さを感じさせる方だ。
求龍堂発行の『堀文子の言葉 ひとりで生きる』を読むと、軟弱な背中をビシビシ叩かれているような気持ちになる。

「築き上げたものを壊すのは惜しいものです。
お金も、物も、人とのつき合いさえも、
捨てることになるのだから。
でも失った無駄が心の肥やしになるはずです。
古い水を捨てなければ新しい水は汲めません。」

「みんなひとりが寂しいといいますが、人といれば本当に寂しくないのかしら?
人はそもそも孤独なんです。」

「現状を維持していれば無事平穏ですが、
新鮮な感動からは見捨てられるだけです。」

「美徳を吹聴してはなりません。美徳自慢は無粋の限りです。
ばか正直。ばか丁寧。くそ真面目。美徳にそんな言葉をつけて「過ぎる」ことをいましめていた昔の人の粋な感覚に圧倒されます。」


  (堀文子 『堀文子の言葉 ひとりで生きる』から 求龍堂)
by mint-de | 2011-12-08 14:39 | 詩と言葉から

久田恵の言葉から

  現実の生活に行き詰まったとき、そこにとどまっていては、何も見えない。だけど、自分からはなかなか出ていけないものです。そんなときは、ファンタジーの力を借りて跳んでみよう、と思うようになりました。それは何も別の場所に行くことじゃない。赤毛のアンが平凡なくぼ地を「スミレの谷」と名づけたように、今いるここを、自分にとってすてきな場所に変えていく、ということです。
 大事なのは、誰かに幸せにしてもらおうと思わず、一人でも自由に、楽しく生きられる力を育てること。いまも日々、練習中です。


   (2011年7月8日付夕刊 「人生の贈りもの」 久田恵 「行き詰まったとき、跳ぶ力を」から)
by mint-de | 2011-07-09 15:46 | 詩と言葉から

山田太一の言葉から

僕は人間の願いやファンタジーには、丸ごと「人間」というものが語られているように思います。
つまり人間は真実だけでは生きられないのであって、そういう願いを、物語を必要としているのではないでしょうか。
真実を追求することが善だとよく言われますが、もし、人生が真実だけだったら、やっていられない。僕だってやりきれないことだらけです(笑)



(2011年2月12日付朝日新聞be 映画「ヒアアフター」の広告から)

by mint-de | 2011-02-12 13:33 | 詩と言葉から

酒井雄哉(天台宗大阿闍梨)の言葉から

「自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えがわからないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな」

「毎日立って前を向いて歩いているでしょう。そうすると、目の前にあるものはすべて真正面にあるものだと思い込んでしまうんだよ。寝ていて見える天井だって、天井には見えず、壁に見えてしまう。
習慣っていうのはそれくらい人の感覚を狂わせてしまうんだな。たった90日であってもだ。人間のものの見方や心のありようっていうのは、いろんなものでどうにでも左右されちゃうということを学んだんだ。
だから自分から見て、どんなに正しいと思えることでも、もしかしたらいろいろなことにとらわれてそう見えているかもしれない。自分がどんな立場でそれを見ているのかということをいつもいつも確かめないといけないんだな」 


  (酒井雄哉 『一日一生』から 朝日新書)


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by mint-de | 2010-11-04 16:02 | 詩と言葉から

ミネット・ウォルターズの言葉から

人間の勝利は、

あとからあとから襲いかかる

ささやかな敗北を敢然と受けとめ、

できるだけ傷つくことなく

生きながらえることにある



(ミネット・ウォルターズ 成川裕子訳 『氷の家』から 東京創元社)


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by mint-de | 2010-05-22 13:26 | 詩と言葉から

生きがいについて

「生きがいを手に入れる簡単な方法」 加賀乙彦
     (『不幸な国の幸福論』 
集英社新書・「第3章」から)

人間には、この世界に自分が存在していることになんらかの意味や価値を見いだしたいという欲求があります。誰かに、あるいは何かのために自分が必要とされているという手応えを常に欲している。意識するしないにかかわらず、さまざまな人間関係や仕事などをとおして、日々それを確認しながら生きていると言ってもいいでしょう。存在意義を感じられなければ、どんなに裕福で恵まれた環境にあっても自分を肯定するのは難しい。不安や不満に苛まれ、心や体を病んでしまう人も少なくありません。
人のために何かをするということ。それこそが、「私は必要とされている」「私には生きる意味があるのだ」と実感できる最も簡単な、そして誰にでも可能な方法です。誰かの役に立てているという素朴な喜びは、自己肯定感へとストレートに結びついていく。生きがいを感じながら生きていくエネルギー源となるのですから。
人間が自分のためにできることなんて、たかがしれています。しかし、自分のためだと頑張れなかった人でも、誰かのためなら思ってもいなかったエネルギーがわいてきて、普段以上のことができたりするものです。それが、その人の自信にもつながっていく。たとえ収入や評価という目に見えるメリットをもたらさなかったとしても、自分自身を支える力となってくれるのだと思います。
そうして、人のために自分にできるささやかな何かをする人が増えれば、世界は今より確実に生きやすく、幸福になる。秋葉原通り魔事件を起こした青年にしても、自分の不幸ばかりにスポットを当てるのをやめ、「誰かのために今の自分にできる何か」を探し行動していたなら、あれほどの孤独と自己否定感を抱えずにすんだのではないでしょうか。

by mint-de | 2010-03-19 19:29 | 詩と言葉から

春を待つ

今日も青空が広がっている。もうすぐ3月、春がやってくると思える暖かい日和だ。
北海道にいた頃は、春が本当に待ち遠しかった。
雪道から、茶色い土が見えただけで、ああ春がくる、厚いオーバーやブーツを脱げる日がくる、身軽になれると喜んだものだ。そして、「春」を想うとき、私には、いつも浮かんでくる言葉があった。
作者もタイトルも忘れてしまった詩の最後の部分。ただ、「まんさくが咲いて、子どもが喜ぶ」という言葉が、私が春を待ち遠しく思う気持ちとピッタリで、私はその部分を「まんさくの花が咲いたと 子どもたちは歌うように喜ぶ」と、ずっと思い込んでいた。
あるとき、子どもの国語の資料を見ていたら、その詩が載っていて、丸山薫の「白い自由画」という詩だとわかった。しかし、最後は、
「あヽ まんさくの花が咲いた」と 子どもたちはよろこぶのだ
で、「歌うように」なんて言葉はなかった。ひどくガッカリしたものだ。
もしかすると、別の詩と混同していたのかもしれない。
記憶というものは、自分の都合のいいように脚色されているものなのかもしれない。
今でも私は、「まんさくの花が咲いたと 子どもたちは歌うように喜ぶ」と心のなかでいっている(^^)

白い自由画 (丸山薫)

「春」といふ題で
私は子どもたちに自由画を描かせる
子どもたちはてんでに絵の具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる

ただ まつ白な山の幾重なりと
ただ まつ白な野の起伏と
うつすらした墨色の陰翳の所々に
突き刺したやうな 疎林の枝先だけだ

私はその一枚の空を
淡いコバルトに彩つてやる
そして 誤つて まだ濡れてゐる枝間に
ぽとり! と黄色を滲ませる

私はすぐに後悔するが
子どもたちは却つてよろこぶのだ
「あヽ まんさくの花が咲いた」と 
子どもたちはよろこぶのだ


色のない冬から、黄色とまんさくというたった二語で、春になる喜びが表現されている。素朴な感じが、とても気に入っている。
by mint-de | 2010-02-20 16:06 | 詩と言葉から