碧草の風

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湯たんぽ

このところ寒い日が続いている。朝起きると、庭の水道から金魚のプラ池、犬の器の水まで凍っている。庭を歩くと、土の中の霜柱が砕けるザクザクという音がする。今年は去年に比べると、随分寒い冬だ。

夜、布団に入っても、なかなか体が温まらないので、久し振りに湯たんぽをだしてみた。ひんやりした布団をめくって足を伸ばすと、あったか~い湯たんぽに触れる。あの感触がとてもうれしい。湯たんぽは、室町時代に中国から伝わったものらしい。そんな昔からあるものが、今も重宝されているなんて、不思議な気がする。生活に本当に必要なものというのは、昔も今もそれほどの違いはないのかもしれない。

現在は、エコ商品として求める人が増えているとか。プラスチック製のものから、ゴム(お湯の温度は70度くらいでいいそうだ)、銅製、昔は広く使われていた金属製のものまでいろいろある。金属製のものが、10000円前後という値段には驚いてしまったが、熱伝導がいいのは、やはり金属製のものだろう。

やかんにお湯をわかして、湯たんぽの小さな注ぎ口にお湯を入れる。手が動いて、必ずこぼれてしまうお湯をふきながら、温かな気持ちになるのはなぜだろうと自問する。それは、心地よく眠れるだろうという安心感からだろうか。

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by mint-de | 2008-01-28 11:31 | 木陰日和

奇跡の惑星 「アース」

「アース」 (2007年 ドイツ・イギリス映画)

制作に5年を費やしたネイチャー・ドキュメンタリー。
宇宙の偶然がもたらした23.5度の傾き。その傾きと、太陽の恵み、豊富な水が、地球に命をもたらした。奇跡の惑星、地球。

映像には、私が見たことのない世界が広がる。過酷な自然のなかで生きる動物たち、雄大な自然。人間以外の地球上の生物。地球は人間だけのものではない。そんな思いにとらわれる。

人間が利便性を追い求めた結果、地球上の生物は、いま危機にさらされている。このままでは、2030年には野生のシロクマが絶滅するという。世界が環境問題に気を配りはじめたけれど、はたして間に合うのだろうか?

46億年も存在する地球。その気が遠くなる年数と、今の環境破壊がもたらすものに、私は違和感をおぼえてしまう。人間の歴史なんて、ミクロの単位ではないか。いったいわれわれに何ができるのだろう?
by mint-de | 2008-01-27 14:06 | シネマ(あ~そ) | Trackback

私は自由 「プルートで朝食を」

「プルートで朝食を」 (2005年 アイルランド・イギリス映画 監督ニール・ジョーダン)

僕の、いえ、私の名はパトリック。キトゥンと呼んで。私はアイルランドで生まれたの。
母は、生まれたばかりの私を神父さんの家の前に置いて、いなくなってしまったの。幻の女になったのよ。
私は、養子にだされたわ。養母は、いつもガミガミ怒ってばかり。女の子になりたかった私は、きれいにお化粧をして女の子の服を着たりしたけど、養母はそんな私をひどく罵ったわ。学校の先生にもいつも怒られてた。でも、私は気にしないの。いつも明るく笑っていたわ。だって、笑うことで、ひどい身の上に耐えることができたから。

ある夜、ライダーから素敵なことを教えてもらったの。冥王星まで旅をするくらいの気持ちが大事。人生は、いろんな経験の積み重ね。政治的なテロで、無差別に人を殺したり、自分の思想を他人に強制したりすることより、とっても大切なことだって。だから、私は旅に出た。実の母、幻の女を捜すために、ロンドンへ。

いろいろあったけれど、運がよかったのは、バーの爆破容疑でつかまったこと。何も知らなかったけれど、警察署は居心地がよかったので、作り話をしたわ。でもその話は現実的じゃなくて、追い出されちゃった。私にひどい仕打ちをした警官が、その後で、いいお店を紹介してくれたの。お陰で父から話を聞けて、母にも会うことができた。母の幸せを壊したくなかったので、名乗らなかったけれど、うらんだりしていないわ。私の人生だもの。

いつもきれいにして、私はわたしのまま生きていくわ。私の心は、コマドリのように自由よ。誰にも私の邪魔はできないの。いつか、冥王星で朝食がとれるかしら?

とても面白かった。軽快な音楽もいいし、キリアン・マーフィーの演技も素晴らしい。
最近観た映画で、一番気に入った。どんな環境にもめげずに自分を貫くのは、大変なことだ。
でも、パトリックは人に馬鹿にされようが、真剣じゃないと眉をひそめられても、気にしない。
逆にどっちの行動が正しいのかと、問われているような気になるのだ。
続編があるといいな(^^)
by mint-de | 2008-01-21 09:32 | シネマ(た~ほ) | Trackback

「再会の街で」

「再会の街で」 (2007年 アメリカ映画)

悲しみや絶望感の癒やし方は、人それぞれだ。一人で乗り切れる人もいれば、多くの人間が助けなければならない人もいる。肝心なことは、その人間にあった接し方をしなければ、傷ついた人間は、もっと深く傷ついてしまうということだ。

ニューヨークのマンハッタン、歯科医のアランは、道で大学時代のクラスメート、チャーリーと偶然、再会する。チャーリーは、9・11のテロで妻子を亡くし、心に傷を負ったまま、自分の中に閉じこもる生活をしていた。アランを見ても、よく覚えていないし、仕事もやめ、ただひたすらキッチンをリフォームし、ゲームに夢中になる日々。そんなチャーリーを目にして、放っておけなくなったアランは、チャーリーの再生に力を貸そうとする。

いろんな人の助けを拒否するチャーリーの姿は痛々しい。どうして妻の両親まで拒否するのか、不思議に思っていたが、ラストで明らかになる。妻と最後にした会話は、キッチンのリフォームについてだった。急いでいたチャーリーは、ろくに話も聞かず電話を切ってしまった。そのことが、チャーリーを責め続けていたのだ。

何かについて話し合う、分かち合う、そのことがどんなにすばらしいことだったかを、妻が亡くなってから気づいたチャーリー。義父母は、娘や孫を亡くした悲しみを分かち合える。でも、自分はそれができない。人を拒みながら、チャーリーは、やはり人を求めていたのだ。アランは、チャーリーのよき理解者になれた。そして、またアランも、チャーリーとの再会が妻との関係を見直す機会にもなったのだ。

この映画には、もう一人精神的に傷ついている女性がでてくる。夫に裏切られたことで、アランに積極的に近づいてくるドナだ。ドナとチャーリーの傷の癒やし方は対照的だ。人は一人では生きていけない、そのことに気づかされる映画だった。
by mint-de | 2008-01-17 11:44 | シネマ(あ~そ) | Trackback

『君のためなら千回でも』

『君のためなら千回でも』 (カーレド・ホッセイニ 佐藤耕士訳 ハヤカワepi文庫)

訳者あとがきに、この本が読者にとって至福のひとときになることを願ってやまないとあるが、本当にすばらしい物語だった。読んでいない人に、「ぜひ読んでみて!」と心からすすめたくなる本なのだ。来月には、同名の映画が公開される。映画もぜひ観たいと思っている。

作者のカーレド・ホッセイニは、1965年にアフガニスタンに生まれ、1980年にアメリカに亡命した。医者として働きながら、この小説を書いたそうだ。原題は「THE KITE RUNNER」(カイトランナー)。

まだ平和だったころのアフガニスタン・カブールでは、冬の伝統行事として「凧合戦」が行われていた。ガラス糸で手に傷をつけながら糸を繰り、空高く揚げて相手の凧を落下させる。そしてその落ちた凧を追って自分のものにする、その凧追いのことをカイトランナーというのだ。合戦後、子どもたちは手についた傷を比べあう。傷の多さが自慢になるなんて、今のアフガニスタンを暗示しているようで、切なくなる。

裕福な家の息子アミールと、召使いの子ハッサン。アミールが落下させた相手の凧を追うために、ハッサンは「君のためなら千回でも」という言葉を残して、かけていった。しかし、仲のよかった二人の関係は、その日から一変する。

この本は、アミールの嘘と贖罪の物語でもあり、誇り高く偉大な父と、父の求める強さを見せることが出来なかった息子との、親と子の物語でもある。愛と許し、人生において、大切にしなければならないことは何なのかと、問いかけてくる。

作者の祖国への想いが、この物語を書かせたのだろう。懐かしい故郷と少年時代、平和なままだったら、祖国を捨てることはなかったはずだ。今のアフガニスタンへの憂いと重なり、切なさに満ちている物語だ。
by mint-de | 2008-01-16 21:55 | 私の本棚 | Trackback

純白の大砂丘

「南米の神秘 純白の大砂丘」

昨晩NHKの総合テレビで放送された番組。
ブラジルの北東海岸沿いに広がる砂丘、レンソイス国立公園は、砂というより雪の平原が広がっているような不思議な場所だった。
乾期は普通の砂丘だけれど、雨期になると池が現れ、魚が泳ぎ、カエルやカメが活動する。そして、また乾期になると、魚は死に、カエルやカメは次の雨期をじっと待つ。カメが乾期にじっとしていることを夏眠というらしい。
その生き物に適した、それぞれの動物の生き方を見ていると、人間よりしたたかで強靭なものを感じる。
うちの犬も、寒い冬の夜はヘビのように丸くなって体温を調節している。
自分の身は自分で守っているのだ。
純白の大砂丘を見ながら、地球の不思議、命の神秘を思った。
by mint-de | 2008-01-15 11:47 | 観て☆聴いて☆読んで

『目くらましの道』

『目くらましの道』 (ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳 創元推理文庫)

スウェーデン人作家ヘニング・マンケルが描く、警部クルト・ヴァランダー・シリーズの5作目。シリーズの中では一番気に入った。

ヴァランダーは、スウェーデン南部の田舎町イースタ署の中年刑事だ。妻とは離婚し、離れて暮らす年老いた父を心配しながら、たまにやってくる娘の訪問を喜ぶ、ごく普通の父親でもある。福祉国家と呼ばれ、理想の国のイメージがあるスウェーデンでも、悲惨な事件は起こる。

今回のヴァランダーは、凄惨な死体を残す連続殺人犯を追いながら、畑で自分の目の前で焼身自殺した少女のことが、ずっと気になっている。そして、その殺人犯の事件と少女には接点があった。事件解決後のラスト、エピローグでは、その少女の父親が遠いドミニカからやってきたことに触れ、ヴァランダーの嘆きが語られる。

ヴァランダーは、この世界で起こる理解しがたい事件を目のあたりにして、いま生きている世界を理解することなど無理ではないかと心を痛める。暴力が不可欠な時代、不安な未来。出口のない暗闇を歩いているような気分のなかでも、生きてまた警官としての職務に誠実であろうとする。彼の痛みは、いまこの時代の痛みでもあると思う。読むのが楽しみなシリーズだ。
by mint-de | 2008-01-12 13:03 | 私の本棚 | Trackback

冬の夕暮れ

今日は、夕方に犬の散歩をした。
冬の夕暮れの道は、少し淋しい。
散歩は、やはり朝のほうが気持ちがいい。

実家の家を解体した。住もうと思えば、まだまだ使えたかもしれないが、住む者がいない家は荒れていくばかりで、その姿を見るのもつらいので、壊すことにした。
去年、草が伸び放題の庭に、野菊だけがきれいに咲いていた。
ときどき、風に揺れていた花を思い出す。

いろいろ手続きも終わり、ホッと一安心。

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by mint-de | 2008-01-10 22:14 | 木陰日和

新しい年

きっと良い年
 
    幸せな年に!

上の言葉は、数年前に知人からもらった年賀状に書かれていたもの。
私は、この言葉がとても気に入っている。
短いけれど願いが凝縮されていて、自分のそうなろうとする気持ちが大切だと、教えてくれる。
そう思いたい、新しい年。
今年もよろしくお願いします。

毎年行っている浅草寺は、ことしもものすごい人出だった。仲見世の間を、進んでは止まりながら、やっと大賽銭箱にたどりついた。箱にお金をいれるのも一苦労。前にいる人の頭より高く投げなければならないので、野球のピッチャー並みの力がいる(^^)。願い事をするのも楽ではないのだ。

箱根駅伝は、少ししか見ていないけれど、毎年ドラマがあって面白い。今年は途中棄権が3校もあって、せっかく練習してきたのに、どんなに残念だったことだろうと思うと、可哀想に思う。おかしいのは、後ろを走る車の中から指示をだす監督の声。一生懸命がんばっているのに怒鳴り散らす監督がいたり、「男だろう」という激励の言葉を口にする監督もいた。男だろうだなんて、なんだか笑ってしまう。
悲喜こもごもの年のはじまり。

d0129295_12115516.jpg今年はどんな年になるのだろう。
by mint-de | 2008-01-05 12:13 | 木陰日和