示準化石

ひどい雨だ。
朝、どうしようか迷ったが、行かないわけにもいかないのでカッパを着て犬の散歩へ。
これだけ雨が降っていても、晴れた日と同じように歩く犬。
オイラ、雨なんて関係ねぇ~、といっているかのようにズンズン歩いていく。
その元気のよさに感心、感心。
ときどきブルブルッと体を振って水を飛ばし、いつもより短いコースで帰ろうとする私に逆らいながら、お散歩終了。
帰ると、もうやることがないので、小屋の中に入って丸まっている。

犬の頭をなでながら、何を考えているのかなあと思うことがある。
早く散歩に行きたい、ごはん食べたい、寝たいとかそんなことを思っているのかな?
少なくとも飼い主が気に入らないとか、犬小屋をもっと住みやすくしろとか、そんなことは思っていないだろうな。比べるものがないから。

犬のことを考えていたら、先日読んだ記事が頭をよぎった。
名古屋で開かれた生物多様性に関する会議(国連地球生きもの会議)に関連したもので、福岡伸一さんの「多様性は人間だけのものか」(10月28日付朝日新聞「あすを探る(科学)」)という記事。
それによると、生物には持ち場があって、その中で食うか食われるかの緊張関係にあったり、ある物質を還元したり浄化したりする相互依存関係にあったりして、生物はすべての動的平衡を支えるプレーヤーなのだそう。その多様性をかく乱したのは人間であり、進化の歴史が膨大な時間をかけてつくりあげた多様性を独り占めにしようとしている。その行為は、ヒトという種を滅ぼすことにつながるのではないかと警鐘を鳴らしているのだ。
三葉虫やアンモナイトのように、短期間のみ栄えたものを示準化石というのだそうだが、そのように、急速に専有を目指した種は急速に滅びに向かうだろうと述べている。
はたして、何億年か先の未来に人が示準化石になった場合、犬はどうなっているだろう、などと考えてみたりするのだった。
by mint-de | 2010-10-30 16:45 | 社会畑