旅 感動するココロ
2015年 03月 05日
日常には含まれていない旅先で、私は自分がうつくしいと思うもの、その正体を自分でも知らない。自分が何を見て泣きたくなるのか、わからない。壮大な光景でも、世界文化遺産でも、人の笑顔でもない。もちろん、それらのときもあるけれど、そうしたものでないときもある。
だんだんわかってきたことは、私の思ううつくしいの反対が、汚いでも醜いでもないこと、それから、そのうつくしいものにのみ、自分の心が動かされるということである。私はまだまだ見たい。自分がうつくしいと思うものの正体を知りたい。それは、一ヵ月の旅でも、一泊の旅でも、触れられるものなのだと最近になって知った。
だんだんわかってきたことは、私の思ううつくしいの反対が、汚いでも醜いでもないこと、それから、そのうつくしいものにのみ、自分の心が動かされるということである。私はまだまだ見たい。自分がうつくしいと思うものの正体を知りたい。それは、一ヵ月の旅でも、一泊の旅でも、触れられるものなのだと最近になって知った。
(角田光代『降り積もる光の粒』あとがきから・文藝春秋)
by mint-de
| 2015-03-05 21:03
| 詩と言葉から