『ソラリスの陽のもとに』

『ソラリスの陽のもとに』 (スタニスワフ・レム 飯田規和訳 ハヤカワ文庫SF)

SFは、あまり読んだことがないけれど、映画の「ソラリス」を観てから原作に興味をもち、最近やっと読み終えた。映画になった「惑星ソラリス」と「ソラリス」は、原作とはかなり違っているということだが(「惑星ソラリス」は未見)、確かに映画の「ソラリス」は男女の愛が最大のテーマだと思うけれど、『ソラリスの陽のもとに』は、理解し得ないものや未知のものと、どう向き合うのかということがテーマになっている。

赤い太陽と青い太陽に照らされる惑星ソラリスは、ほとんどが海でできている。海は、まるで意思があるように動き、人の心まで理解できる謎に満ちた知性をもっている。地球の学者達が研究し続けても、いまだに謎の惑星のままなのだった。

ソラリス・ステーションに着いたケルビンは、10年も前に自殺したハリーを見て驚く。でも、それはハリーに似せた何者かだった。愛する女性を死なせてしまったというケルビンの罪の意識が、偽のハリーを作り出したのか? ハリーには、理解できるはずの愛する女性さえ結局理解できずに終わってしまったケルビンのような人間たちに、このソラリスを理解することなどできはしないだろうというメッセージが、隠されているようにも思う。

地球に生きる人間が宇宙について考察したとしても、それはあくまでも地球上で得た知識から考えるしかない。全くの未知なるものを理解することなど、できるはずがないだろうと思う。そこから導き出されるのは、人間には理解できないものが存在するのだということ。そのものを認めて、あるがままを見続けるしかない。
地球温暖化、洪水や大地震といった自然の猛威にさらされる現象を見ていると、大いなる力の前には、人間は無力なのだなあと、つくづく思う。

この本を読んでいると、人は自分以外のもの、いや、自分さえもわかってはいないのではないか? 理解する、わかりあうということの難しさを思い知らされるのだ。
閉塞感で息がつまりそうな混乱したステーション内と、広大で不気味な謎に満ちたソラリスの海との対比に、妙な切なさを感じてしまう小説だった。
by mint-de | 2008-07-30 11:14 | 私の本棚